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野村克也 追悼号 生涯一捕手から名将へ

【1999-2001 阪神監督時代】“ダメ虎再生”の期待もチームが一丸となれず3年連続最下位 自らが自嘲気味に称した「暗黒時代」

 

ヤクルト退団直後の98年オフ、熱心に誘われ阪神監督に就任した


選手の意識改革から図ろうとしたが……


 1998年にヤクルトを退団した野村克也は、そのオフすぐに阪神監督のオファーを受けた。日本一となった85年以来、13年間で7度の最下位。「ダメ虎」「高校生よりも弱い」などと揶揄(やゆ)されるなど6年連続Bクラスにあえいでいた球団幹部は、リーグのお荷物だったヤクルトを強くした「名将」の手腕を高く評価していた。

 過去、生え抜きの人事が原則だったが、久万俊二郎オーナー自らが要請の場に出席。「タイガースは今、どん底にある。監督にふさわしいのは野村さん以外考えられない」という熱心な説得もあり、当時はまだタブーだった同一リーグでの間を置かない移籍に応じた。

 就任早々「野村ノート」を配布し・・・

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