6年連続を含む7度のゴールデン・グラブ賞を獲得するなど、2000年代の日本球界を代表する遊撃手・井端弘和(元中日、巨人)にとって、野村克也氏は野球人生を変えた恩人だという。接点の見えない2人の関係とは? 堀越高時代に甲子園でプレーする井端弘和。野村克也さんの指示どおり、遊撃を守り、堅実な守備を見せた
野村克也さんの訃報には本当に驚きました。同じチームで直接の指導を受けたことはありませんが、今の私があるのは、そして、ここまで野球を続けてこられたのは、野村さんのおかげなんです。
野村さんとの出会いは、私の中学時代まで遡ります。現役を引退されてヤクルトの監督に就任する前、野村さんは港東というシニア(※中学硬式野球。沙知代さんがオーナーでした)の監督をされていたんですが、私は同じ支部の城南品川というチームに在籍していました。2年生の秋だったと記憶していますが、支部の準決勝で私が登板し(中学まではピッチャー兼センターでした)、決勝にコマを進めました。
その試合を同じ会場でもう一方の準決勝のために待機していた野村さんが見ていて、「あれは打てない」と評価してくれていたんだそうです。決勝は港東と城南品川。いろいろ事情があって、その日は試合に行かず、「何であのピッチャーはいないんだ?」と……。これが89年の9月のことで、野村さんは10月にヤクルト監督に就任。当然、港東の監督は退任となりました。
普通、プロになった監督と中学生ですから、これで関係は終わりだと思うんですが・・・