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野村克也 追悼号 野村克也と私

山崎武司 野村克也追悼インタビュー「野球観を変えてもらった監督であり、オヤジと呼べる存在」

 

2004年オフに一度は引退を決意したが、翻意しての楽天入団が野球人生を変えた。07年には自身2度目となる本塁打王に輝いたが、それを後押ししたのが野村克也監督のアドバイス。師と過ごした4年間はとてつもなく濃密なものとなった。

ベンチ前で野村監督に抱きつく山崎。2人の距離が縮まるのに時間は掛からなかった


野球に取り組む姿勢


 オリックスを戦力外となり、一度は切れかけた野球人生だった。それでも新球団である楽天から声が掛かり、再起を決意。この決断こそが、野球人生最大とも言える出会いにつながる。移籍2年目に野村監督が新たに就任。当初は野球観の違いから、分かり合えるかどうかに疑問を抱いていたという。そんな始まりではあったが、一つのつながりをきっかけに、2人の間にあった壁はあっさり崩れ去る。

 僕が楽天に入団して2年目、野村監督が就任されました。この話を聞いた瞬間、「マジかよ、終わったな……」と思ったものです(苦笑)。セ・リーグではずっと敵として戦っていた指揮官だったし、野村さんの目指す野球や性格も聞いていました。あの人が最も嫌うような野球スタイルを、僕がやっていましたから。

 ただ、一つだけ接点があったんです。僕はプロ入り以来、大相撲の北の湖(敏満)さんを兄貴分として慕っていて、あるとき言われたんです。「武司、野村さんが楽天の監督になるんだってな」。僕は「はい、終わりました」と自虐的に答えました。すると北の湖さんは「俺が電話しといてやるから」と言うんです。「言っといてやるよ」なんて言葉は普通、社交辞令ですよね。だから、特に気に留めてはいませんでした。

 でも、野村監督が後日、僕にこう言ってきました。「おい、北の湖から電話あったぞ。仲良いんか」と。僕は「はい、かわいがってもらっています」と答えました。野村監督は「そうか」と言うだけで、それ以上のやりとりはなかった。ただ、共通の知人の存在によって野村監督との距離が縮まり、その後もコミュニケーションが取れるようになりました。

 おそらく、人づてに「山崎武司はこんな人間」と聞いていたはずです。僕も野村監督をよく見ていたし、野村監督も僕のことをどんな人間か観察していた。あの方は、来る者は拒まず、去る者は追わずというタイプ。何かを聞きに行って「何だ」と拒むような人ではない。それからは腹を割って話せるようになりました。

 楽天に入って1年目には田尾(田尾安志)監督に打撃技術を全否定され、2年目には野村さんに人間性を全否定されて(苦笑)。でも、「これじゃダメだ」と苦言を呈してくれる人がいたから、僕は長く野球ができたと思っています。現役生活27年のうち、野村監督の下でプレーした期間はたったの4年ですけど、ほかとは比べものならないくらい濃密な時間でした。

 とにかく数字が物語っていますよね。若いころ所属した中日で186本、オリックスで26本のホームランを打ちましたが、キャリア晩年に楽天で193本も打てたわけですから。野球そのものを教わったのは中日ですけど、野球をプレーしているな、楽しいなと心の底から実感できたのは楽天時代でした。

 僕の中で一番変わったのが・・・

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