2018年春、中日にテスト入団した松坂大輔が12年ぶりに日本で勝利を飾った。横浜高のエースとして春夏連覇で伝説となった1998年の夏から20年、平成最後のペナントレースで“怪物”が再び、力強い姿を取り戻しつつあった。その松坂と同じ、1980年生まれの『松坂世代』のスポーツアンカー・田中大貴が怪物復活の裏側に迫った。 重たいウイニングボール
待望の瞬間は4月30日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で訪れた。中日移籍後3試合目の先発マウンドに登った松坂大輔は6回114球、被安打3、与四死球は8ながら要所を締めて1失点。2015年の日本球界復帰後初勝利を手にした。 田中(以下、――)12年ぶりに日本のマウンドで先発勝利(4月30日対DeNA@ナゴヤドーム)を収めてから少し時間が経ちました。
松坂 そうですね、自分も早く勝ちたいとは思っていましたけれど、それ以上に周りの友達、応援してくれているファンの方を含め、これだけの人たちを待たせてしまっていたんだなとあらためて思いました。うれしかったのはもちろんあるんですけど、それがしばらくできなかった申し訳なさも同時にありましたね。
――後悔にも似たような感覚ですか。
松坂 ホークスで何もできなかったので。それでも待ってくれていたファンの人たちのことを考えると、手放しでは喜べないなって、思ったんですけど、でも、勝った日の夜はホークスの選手、スタッフ、フロントの人も連絡をくれてね。「良かったね」と言ってくれて「ホークスのときに何もできなくて申し訳ありませんでした」っていう返事をしました。
――あの1勝というのは、ただの1勝ではないと思います。
松坂 過ぎてしまえばただの1勝に過ぎないんですけど、でも、やっぱりあのウイニングボールは、いろんな思いが乗っかっているというか、非常に重たいウイニングボールになったなと思いましたね。
――自分の中での思いとしては? いろいろとあり過ぎるとは思いますが。
松坂 ボールは常に目に入るところに置いてあるんですが……。
――部屋に?
松坂 部屋にあります。それを見て・・・