抽選の末、西武が交渉権を獲得して沈んだ表情を見せた松坂
気持ちの変化は「まったくありません」
その瞬間、天を仰ぎ、苦笑いを浮かべた。
「外れたな、と思いました。意中の球団は横浜ベイスターズでした。みんなから『うまくいくといいね』と言われていましたが、そんなに甘くなかった……」
松坂大輔の口から初めて「横浜」という言葉が出たとき、すでに夢は夢として終わってしまっていた。
1998年11月20日、ドラフト会議。日本ハム、横浜、西武の3球団による競合を制し、世紀の怪物投手の交渉権を得たのは相思相愛の横浜ベイスターズではなく、西武ライオンズだった。
日本ハム、横浜との競合を制し、西武・東尾監督[中]が当たりクジを引いた
朝8時20分。秋晴れの空には雲ひとつない。前日、友人と一緒に渡辺元智監督の自宅に泊まった松坂は、ぐっすり眠って監督の車で登校。長い一日の始まりだった。
前日の会見で・・・