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よみがえる1970年代のプロ野球 70's HERO CLOSE-UP

「ON」の時代は終わらない 最大のライバルにして最高の盟友の双曲線

 

1958年入団の長嶋茂雄、59年入団の王貞治。王が「一本足打法」となった62年以降は、イニシャルから「ON」と並び称され、巨人V9でも中軸を担った。70年代の2人は、ともに国民的スーパースターながら、時に明暗を分け、途中からは監督と選手になった。
週刊ベースボール 別冊空風号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(1) セ・リーグ編
2022年11月28日発売より


王[左]、長嶋[右]のONコンビは常に球界のど真ん中に居続けた


2人の相乗効果


「ONと言われ、NOとも言われた2人ですが……」

 2004年春、『巨人70年史』のインタビューで、長嶋茂雄巨人終身名誉監督がそう言った。ノーとも読める響きもあってか、「NO(エヌオー)」はあまり聞いたことがなかったが、昔の雑誌や新聞を見ると、なかったわけではないようだ。

 このとき「長嶋さんも、自分の名前が前のほうがいいのかな」と呑気に思ったが、話を聞いていると、単純に三、四番の打順の表現だったようだ。川上哲治監督は三番・王貞治、四番・長嶋の「ON」を基本形として考えていたが、70年代になると、入れ替わることも珍しくなくなった。

 銭湯の下駄箱が1と3から埋まっていったという有名な話がある。2人は老若男女に愛された国民的スターで、別に対立の構図ではなかったが、ファンの中にも長嶋派、王派がいた。これは年代もあり、大ざっぱにくくってしまえば、長嶋の元気な現役時代を見ている昭和30年代生まれ以上が長嶋派、長嶋と言えば監督のイメージが強い40年代以降が王派と言っていいだろう。

 大卒入団と高卒入団の違いもあって、巨人入団は長嶋が1年早いだけだが、学年は長嶋が5つ上。62年に王が一本足打法をスタートさせ、本塁打を量産するまで、王にとって長嶋は雲の上の存在だったはずだ。

 62年以降は並列となる。60年代で見ると、長嶋は首位打者3回、本塁打王1回、打点王3回。王は首位打者2回、本塁打王8回、打点王5回。MVPは王、長嶋とも4回だ。バッターとしては勝負強い長嶋、ホームランバッターの王、性格的には明るい長嶋、生真面目な王と定義されることが多かった。

 2人の間にライバル心がなかったわけはない・・・

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