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よみがえる1970年代のプロ野球 70年代の記憶

【70's ホエールズの記憶】4者の思惑が入り乱れるドタバタ移転劇 横浜大洋ホエールズ誕生前夜

 

急ピッチで完成に近づいていた横浜スタジアム。1978年からの横浜移転を見据え、大洋は着々と準備を進めていた。しかし本拠地・川崎からの反対、ロッテの申し入れ、トレードなど問題は山積みでもあった。
構成=武石来人 写真=BBM
週刊ベースボール 別冊空風号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(1) セ・リーグ編
2022年11月28日発売より


日本初の高い外野フェンスを採用した横浜スタジアム。可動式のマウンドなど当時の最新設備を備えていた


揺れ続けた横浜移転


 横浜市議会が横浜平和球場の改築計画に伴い、当時川崎を本拠地としていた大洋の誘致を決めたのが1976年10月。5年連続で下位に低迷し、老朽化していた川崎球場と、そこでの集客に限界を感じていた大洋は、新たな本拠地への移転に興味を示した。ただ実際には改築計画よりもずいぶんと前から大洋と横浜市の間で、水面下で覚書が交わされるなど、話は進んでいた。

 これに強く反対したのが大洋の本拠地・川崎市だった。相談も、打診もなく話が進んでいたことに川崎市は猛抗議。その波紋は、住民たちをも巻き込む大きなものとなった。当時の大洋・横田茂平社長は抗議のあまりの大きさに、77年6月に一度は移転の結論を先延ばすとしたが、結局は移転の方向で話は進んでいく。

 ただ問題はこれだけにとどまらない。次は・・・

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