プロ2年目の2018年に18本塁打、21盗塁をマークして新人王に輝いた。しかしその後は成績が伸び悩み、5年目の昨季も守備固めでの起用が多かった。スイッチヒッターという武器も持つ男は、輝ける場所を模索し続けている。 取材・構成=阿部ちはる 写真=BBM 打撃フォームでなく気持ちの安定を
ケガの影響は体だけではなく、心もむしばんでいた。
「やっぱり、自分自体がケガよりも弱くなっていたな、と。ケガしたことよりも、いろいろな面で弱くなったなあと感じましたね」
2018年のプロ2年目、球団野手としては初の新人王を手にした
田中和基はレギュラーへの期待を背負って19年の春季キャンプを迎えた。だが、3月1日に行われた台湾・ラミゴとの親善試合で右足首を負傷。さらに5月には左手三角骨骨折が判明し一軍登録を抹消された。その後、一軍に戻ってきたが、この年は59試合出場にとどまった。
「新人王に選んでいただいたときは、ずっと試合に出ていたこともあり、試合に出て当たり前というか、試合に出ることでリズムができていたんです。そういった状況の中ではちょっとした痛みとかは特に気にせずにやっていたのですが、一度離脱してしまうと離脱から戻ったときになかなか打てないと『まだ骨折のところが悪いのかな』とか自分の中で弱気になる部分があったんです。パフォーマンスそのものに影響しているというよりも、どこか心の中で言い訳にするというか、引っ掛かっているという感じで」
打率.265、18本塁打、21盗塁をマークし新人王を獲得した田中和は、一発を秘める俊足巧打の外野手として高い評価を受けた。もちろん、外野の一角を担う存在として期待を受けていたはずだ。だがその年のオフ、
楽天がドラフト1位で指名したのは
辰己涼介だった。同じ俊足巧打の外野手。辰己の入団に焦りもあったはずだ。その中でのケガ。不安は的中し、離脱していた19年、辰己は124試合に出場して一気にレギュラー争いに名乗りを上げた。
「自分が出ていなくてもほかの人が出て(チームが)回っていたこととかも(気持ちへの影響が)ありました……。ケガが治り、言い訳にするほどの影響でもないのに、心の中でケガのせいにしてしまったりすることもありましたね」
さらに苦悩は続いた。20年は80試合に出場し復活の足掛かりをつかんだかと思われたが、21年は開幕スタメンを勝ち取るも61試合出場にとどまると、「プロ5年で一番ダメなシーズン」と振り返った。そしてこう続ける。
「開幕スタメンに選んでいただいということはチームや首脳陣の方が『今年はこのメンバーで始めます』と託してくれたということ。そういった思いやファンの皆さまからの期待を裏切ってしまった。ケガとかそういう要因ではなく、シンプルに自分の野球の結果で期待を裏切ったという思いが大きかったシーズンだったなと」
自信を失いかけていた。だがその理由は、やはりメンタルだった。
「開幕戦で僕以外のスタメンは全員ヒットを打ったんです。2試合目には打てたのですが、その後(5月18日から)24打数1安打となりファームに落ちました。スタートダッシュを決められなかったことでズルズルと自分の形を決められなかったというか。開幕してまだ全然時間も経たっていないのに、どうしよう、どうしようって焦っていたのが去年1年間うまくいかなかった要因かなと」
不安や焦りから悪循環に陥っていた。だが8、9月と二軍で過ごす中で自分自身を見つめ直し、またコーチとの対話で少しずつ気持ちに変化が訪れる。
「開幕スタメンに選んでいただけたということはある程度、期待されてはいたはず。だから・・・
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