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REAL VOICE 捲土重来 2022の決意

中日・福留孝介 インタビュー「同じユニフォームで戦える喜び」

 

今季で45歳を迎える福留孝介にとって、新しくドラゴンズの指揮官となった立浪和義監督との絆は深い。初めてその姿を見てから30年以上が経つ。背番号3にあこがれ、ともにプレーし、今度は監督と選手の関係となった。今シーズンにかける思いは一段と強い。
取材・構成=牧野正 写真=榎本郁也、BBM

春季キャンプで打撃投手を務める福留


 初回から一死満塁の絶好機を迎えた。3月6日、本拠地バンテリンドームにヤクルトを迎えてのオープン戦。マウンドには20歳の奥川恭伸、打席には44歳の福留孝介。カウント2-2から振り抜いた打球は一塁オスナのほぼ正面。3-6-3の併殺かと思われたが、福留は一足早く一塁を駆け抜け、併殺を防いだ。その間に三塁走者の大島洋平が生還し、中日に貴重な先取点が入った。

 たとえここで併殺になったとしても、若手ならともかく、実績十分の球界最年長を咎(とが)める者はいなかっただろう。ましてやオープン戦。だが、福留は全力で走った。1点の重みを知り尽くしているからだ。特にこのチームにおいては……ここでそうしてしまえばシーズンもそうなってしまう。試合は2対0で中日の勝利に終わった。福留はその1打席で退くことになったが、初回の併殺崩れで入った1点が大きかった。

「球界最年長と言われることに関しては、これはもう仕方がないです。事実なんですから。ただ、自分の中では言うほど気にもしていないし、年齢(による衰え)も感じていないんですよね。ここまでできるとは思ってもいなかったし、まだ野球をやれることに感謝しています。長い野球人生だと思いますが、串間に行っていなければ、また違う野球人生だったのかなと思いますけど……」

 串間というのは宮崎県串間市。福留の故郷、鹿児島県曽於郡の大崎町から車で40分ほどの距離にある。福留が小学生のころ、中日は串間市で春季キャンプを行っていた。そこで見た一人の選手に心を奪われ、その後の福留の野球人生は決まったのだった。

思い出の串間キャンプ背番号3との出会い


 1987年の中日は星野仙一監督の1年目。39歳にして古巣の監督就任となった“燃える男”だったが、王貞治監督率いる巨人に敗れて2位。その年の秋に行われたドラフト会議で1位に立浪和義を指名した。春夏連覇を果たしたPL学園高の主将であり、三拍子そろった遊撃手。守備ならすぐにでもプロで通用すると言われ、南海との競合の末、星野監督が自ら引き当てた。翌年の春季キャンプで立浪を見た指揮官はうなった。うわさ以上の逸材。長く遊撃のレギュラーだった宇野勝を二塁に回し、この高卒ルーキーを使うと決めた。

 この春季キャンプでもう一人、立浪ばかりをスタンドから見ていた少年がいた。それが小学4年生の福留だった。日曜日になると家族で車に乗り込み、串間に行って中日キャンプを見学するのが何よりの楽しみだった。

「そんなに体が大きくもないのに、本当によく練習するなと思って、ずっと見ていました。すごい選手だなと。落合(落合博満)さんや宇野さんもいましたけど、主力選手はすぐにいなくなる。でも立浪さんはずっとグラウンドにいて練習していましたから。間違いなく、僕が一番最初にあこがれたプロ野球選手でした」

 練習が終わるまで、ずっと背番号3を見ていた。ホテルまで追い掛け、手袋をもらったのはいい思い出だ。立浪のようになりたいと思い、プロ野球選手を夢見た。小学生時代はソフトボールに明け暮れていたが、中学生になって始めた硬式野球では全国優勝を経験。右投げ左打ちで遊撃手は立浪とまったく同じだ。

「最初は右打ちだったんですけど・・・

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新シーズンに巻き返しを期す男たちの声を届けるインタビュー連載。

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