現役時代は150キロ超のストレートと曲がりの大きいカーブ、キレ味鋭いスライダーを武器にして先発として活躍。ケガのため全盛期は短かったが、黄金時代の西武で印象に残る投球を見せた。10年間の現役生活を終え、引退直後にスカウトに転身。以降、20年以上、チームのために選手を発掘する役割を黙々と続けている。 取材・構成=小林光男 写真=球団提供、BBM 今後も一人でも多く優勝の力となる選手を発掘していく
愛情のあるスカウト
伊野商高3年春にセンバツ出場を果たした渡辺智男スカウト。準決勝で清原和博(元西武ほか)から3三振を奪うなど当時最強を誇ったPL学園高を破り、決勝では帝京高に完封勝利で頂点に立った。卒業後はNTT四国へ。ソウル五輪代表にも選ばれたが右ヒジに故障を抱える。それでも西武は右腕の能力を高く評価し、1988年のドラフトで1位指名。そのときの担当は楠城徹スカウト(現九州国際大付高監督)だった。 高校のときにもプロから話はありました。でも、「高校からプロへは行きません」と意思表示をして、すべて高校側でスカウトからの話を丁重にお断りしていました。そのような状況でしたが、実は自宅まで直接あいさつに来た球団が3チームほどあったんですよ。その中の一人が楠城さんでした(笑)。
西武入団時には私は右ヒジが故障していました。キャンプから二軍本隊とは別に練習していましたけど、4月までずっと見守ってくれたのが楠城スカウトでした。リハビリの立ち投げのときはボールを受けてくれましたし、焦って練習をやり過ぎないように、適度にブレーキをかけるように管理してくれましたね。プロに入って一人でしたから。本当に心強かったですし、ありがたかったですね。
のちに楠城さんにスカウトに大切な心構えとして、「選手に惚(ほ)れろ」ということを教わりました。自分が心底、その選手を好きにならないと相手に気持ちは伝わらないし、周囲もその良さを分かってくれない。楠城さんには愛情をかけていただきましたし、私もいまスカウトとして「選手に惚れる」ことは肝に銘じています。
98年限りでユニフォームを脱ぎましたが・・・
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