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スカウト物語

元DeNAほかスカウト・吉田孝司 “掘り出し物”を見極める眼力「データや動画解析なども使う時代ですが、スカウトは足を運び、直接選手を見ることが大切」

 

1965年、巨人に入団し、森昌彦に次ぐ第2捕手としてV9を支えた。引退後も巨人でスカウトなどを務めたあと、2012年に高田繁に乞われ、DeNAの編成部長に就任。最下位が定位置だったベイスターズを吉田孝司が中心となった編成の力で、チームを建て直し、戦力を拡充させていった。
取材・構成=滝川和臣 写真=BBM

スカウト部長時代は全国を駆け回った。20年で勇退し、現在は評論家などを務める


最下位球団の編成部長


 巨人の黄金期をプレーする中で磨かれた選手を見る力は引退後、スカウトのポジションで発揮された。しかし、2004年の一場事件(複数球団による日本学生野球憲章違反)の責任を取る形で現場を離れた。そんな、吉田孝司を再び現場に引き立てたのがV9戦士の高田繁だった。65歳、新天地DeNAでのスカウト生活が始まった。

 巨人では二軍バッテリーコーチを1995年まで務めたあと、96年から編成を担当しました。スカウトになって1年目、初めて担当した選手が福島・相馬高の鈴木尚広でした。巨人時代は新潟、福島、山形などが担当でした。その後、編成部長になってからは、西村健太朗内海哲也らが入団しました。ところが2004年に一場の問題で編成から異動となり、ファンサービスを担当する部署などを務めた。巨人には63歳までお世話になりましたね。11年末に高田(繁)さんが新たに誕生する横浜DeNAベイスターズのGMになるということで「手伝ってくれ」と連絡をもらい、編成部長に就任しました。

 当時のDeNAは戦力が足りずに、中畑(中畑清)監督には「しばらく、我慢してくれ」と言ってね。ドラフトではとにかく即戦力狙いで、社会人と大学生を重点的に探しました。上位だけじゃなく、下位でも使える選手がいれば獲っていこうと。その中でも優先すべきは投手。とはいえ、最初の12年秋のドラフトは東浜巨(現ソフトバンク)をクジで外して、1位は内野手の白崎浩之(現大分B-リングス)を指名しました。この年はセガサミーの宮崎敏郎を6位で獲得した。部長である私の方針は、「とにかく足を運んで選手をよく見ろ」、そして「掘り出しものを探してこい」でした。宮崎は・・・

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