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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

【レジェンドを訪ねる】八名信夫(東映)インタビュー<2> 契約金80万円の提示が110万円に「東映を選んだのは、大きな会社の東京のチームだったから」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。「悪役」の俳優として有名な八名信夫さん編の2回目は、明大を中退して東映フライヤーズに入団したころのお話を伺いました。
文=落合修一

八名信夫


契約金の交渉でエースと決めた合図


──明大に入学したら先輩たちから殴られる日々で、大変つらい体験をした話の続きです。

八名 自分では、なぜあんなに殴られたのか分からない。殴られ過ぎると、逆に痛くないんですね。

──高校からの先輩だった秋山登さん、土井淳さん(ともにのち大洋)は助けてくれなかったのですか。

八名 僕が殴られていたとき、誰かが土井さんを呼んだことがありました。「ああ、これで助かった」と思ったら土井さんは止めるでもなく、黙って去りました。かばってくれなかったんです。アキさん(秋山)には殴られました。部屋の電灯の紐に誰かが寝巻きの紐を結び、寝ながら引っ張れるようになっていたのを、誰が結んだんだ! って。

──そんなに悪いことなのですか。

八名 不精するな、ということでしょうな。僕が代表で殴られました。アキさんはあのとき、自分の後輩が殴られるなら自分が殴ろうと思ったんでしょう。そういう日々だったのである日、同じ学年の仲間たちが「お前、逃げろ。将来はプロに行きたいんだろ。明日は先輩たちが宴会に出掛けて合宿所を空けるから、そのときに逃げろ」と。協力してくれた仲間が近藤和彦(のち大洋ほか)など5、6人いて、リアカーを用意してくれました。先輩たちがいないときに合宿所の窓から布団とか学生服とか、荷物を放り投げ、知り合いの新宿の家に逃げました。僕が2年の秋のことです。もう野球部も大学もやめて、プロ野球に入るしかない。親父は怒りましたけどね。結局、東京六大学のリーグ戦に出ないまま、僕の大学生活は終わりました。

──大学時代の思い出は野球ではなく、合宿所生活のつらいことばかりだったのですね。

八名 僕は要領が悪かったんですよ。ファンレターなんかたくさん来て・・・

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