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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

【レジェンドを訪ねる】屋鋪要(大洋ほか)インタビュー<3>長嶋茂雄監督から試合後のコール「落ち込んでないだろうな? と励まされ、救われました」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。横浜大洋で「スーパーカートリオ」の一員だった屋鋪要さん編の最終回は、巨人に移籍したお話と、多彩な趣味について伺いました。
文=落合修一

屋鋪要


長嶋監督から感じた「巨人のプライド」


──前回からの続きです。1993年限りで横浜ベイスターズを自由契約になりました。

屋鋪 ニッポン放送のアナウンサーの深澤弘さんから電話がありました。巨人の長嶋茂雄監督が、僕に来てほしいと。僕は以前から優勝できるチームでやりたくて、王貞治監督時代に移籍を「直訴」したこともあったんです。ジャイアンツからのお誘いはありがたかったですね。

──移籍した巨人はどうでしたか。

屋鋪 同じセ・リーグなのに、違う世界に来たみたいでした。キャンプに行ったら、報道陣の数、ファンの数、全然違うんです。キャンプ地の駐車場までの道路が渋滞しましたから。長嶋監督が歩けば、報道陣とファンも一緒に大移動。新聞記者だって各社でミスター番、落合(落合博満)さん担当、松井秀喜担当と分かれている。横浜じゃあり得なかったです。横浜のキャンプは1社1人で、自分で写真も撮っていましたから。

──そういう中でも、94年の巨人ではグラッデンやコトーの外野の守備固めとして、屋鋪さんは存在感を発揮しましたね。

屋鋪 本音は僕もスタメンで出たかったですけどね。そういう気持ちがなかったら、野球選手は終わりです。

──あと、よく言われるでしょうが、ヒゲ禁止がジャイアンツの不文律なのに、剃らなかったとか。

屋鋪 長嶋さんが「剃るな」と言ったんですよ。「ウチの選手はスカートを履いて野球をやっているんだ。だから屋鋪はヒゲを剃るなよ」と。

──移籍初年度(94年)の古巣・横浜スタジアムでの最初の試合(4月12日)に守備固めで出た屋鋪さんは、守備のミスがありましたね。

屋鋪 エラーではなかったのですが、ローズのセンターへの打球の目測を誤り、後ろにそらしてサヨナラ負けしたのです。僕は帰宅しても食事が喉を通らないくらいに沈んでいました。すると、長嶋さんから自宅に電話が来たんです。「落ち込んでないだろうな。あんなの、誰も捕れないよ。明日も出てこいよ」って。

──あの時点で、横浜スタジアムのセンターを守ることに屋鋪さん以上に慣れている野球選手はいないでしょう。長嶋さんは天真爛漫(らんまん)なようでいて、選手をケアするんですね。

屋鋪 僕はプロ野球に入って、監督から電話をもらったのは長嶋さんだけです。あの電話には・・・

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