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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

【レジェンドを訪ねる】大田卓司(西武)インタビュー<3>日本シリーズでは激闘の末、巨人を倒す「MVPは、ライオンズ全員の代表としてもらったんです」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。ライオンズ一筋18年、大田卓司さん編の最終回は、西武ライオンズの黄金時代初期に勝負強さを発揮し、「必殺仕事人」と言われた時代のお話を中心にお聞きしました。
文=落合修一


広岡監督の就任1年目「クソッタレ」と思った


──前回からの続きです。1982年に広岡達朗さんが西武ライオンズの監督に就任しました。

大田 キャンプが始まると、食事に肉が一切出てこないんです。メイン料理は、網で貝を焼く。ほかは野菜サラダに玄米。キャンプなんてメシしか楽しみがないのに。みんな、5分くらいで食事会場から出ていきますよ。若い選手たちが「肉がないと体が持たないから田淵(田淵幸一)さん、言いに行ってください」と頼むから田淵さんが代表してお願いしに行ったら、翌日から肉がたくさん出てきた。マスコミが大げさに報道したからホテルが気を使って肉を出さなかっただけで、広岡さんは肉が禁止というわけではなく、バランスよく食べなさいということだったんですよ。

──広岡さんの厳しいやり方には大田さんだけでなく、田淵さん、東尾修さんといったベテラン勢が反発したそうですね。

大田 抵抗感はめちゃくちゃありましたよ。前の年まで、監督は根本陸夫さんでしょ。根本さんは放任主義というか、大人として扱ってくれた。広岡さんは真逆で子ども扱い。それくらい差がありました。よく考えると、広岡さんのほうが優しいんです。

──優しい?

大田 できないと思って、教えてくれるんですから。今はそう理解していますけど、当時は「このクソッタレ」と思っていました。

──でも、反発してやる気を失うのではなく、「勝って見返してやろう」と思ったのがすごいですね。

大田 シーズン前半、チームがバラバラになりそうな時期があったので、田淵さん、僕、東尾、選手会長の永射保が代表して、監督と話しました。僕が言ったのは、「ミスしたときはしょうがないけど、良いプレーをしたら『ナイスプレー』と声を掛けてくださいよ」。もう一つが「コーチの森昌彦(のち森祇晶)さんとヒソヒソ話をしないでくれ。悪口を言われているのかと気になってしまう」。まだあの2人は仲が良かったから(笑)。広岡さんからは「分かった」と言われました。あの年は「監督のためではなく、自分たちのために優勝しよう」とまとまっていました。山崎(山崎裕之)さんはロッテで経験あったけど、田淵さんも僕も東尾も、高橋直樹さんも、優勝を経験したかった。自分たちのために優勝したんですよ。

──西武は前期優勝し、後期優勝の日本ハムとリーグ優勝をかけてプレーオフで対戦。第1戦で江夏豊さんをバント攻めして、一死満塁の場面をつくったんですよね。

大田 片平晋ちゃん(片平晋作)がプッシュバントを決めました。広岡さんがすごいのは・・・

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