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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

【レジェンドを訪ねる】新浦壽夫(巨人ほか)インタビュー<2>長嶋茂雄監督に信頼され、連覇に貢献「うれしくて、壊れてもいいと思いながら投げていました」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。元巨人ほかのサウスポー・新浦壽夫さんの2回目は、先発、リリーフと大車輪の活躍だった第1次長嶋茂雄監督時代のお話を伺いました。
文=落合修一

新浦壽夫


「ご飯にサイダー」伝説を本人が解説


──いきなりですが、巨人時代の新浦さんがご飯にサイダーを掛けて食べたという有名な話は本当ですか。

新浦 牧野茂コーチと報知新聞のせいです。北海道遠征のときにサイダーの瓶をそばに置いてご飯を食べていたら、牧野さんが「新浦はご飯にサイダーを掛けている」とからかってきて、その話が新聞に載って事実のように広まったのです。そんなこと、するわけないのに。僕は多摩川(二軍の練習場)にいたころから、暑い時期の練習のあとにグラウンドの近くの「小池商店」でサイダーやコーラを買って飲むのが好きでした。だからそのときも飲んでいたのだと思うのですが、ご飯には掛けていません。そう言っても、一度広まった話は消えないものですね。

──では、ニックネームの「カッパ」というのは。

新浦 汗をかいたら髪の毛が濡れてカッパみたいに見えたから、堀内恒夫さんが言ったんですよ。それについては事実です。でも、昔は練習中も試合中も、水を飲むなという時代だったでしょう。巨人軍でもそうでした。だから汗を大量にかいていると「お前、水を飲んだのか」と人から疑われるのが嫌でしたね。

──1975年から長嶋茂雄さんが巨人の監督になりました。

新浦 私が若手で長嶋さんが現役のときから、キャンプや遠征で同室になることが多かったんですよ。長嶋さんが旅館に帰ると部屋に戻りながら脱ぎ捨てた服を拾ったり、全裸で素振りしているところを「お前も見ておけ」と言われてブラブラ揺れているものを見せられたり、先発の日に少しでも寝ていたいのに早朝の散歩に付き合わされたり、長嶋さんとはいろいろありました。

──川上哲治監督の最後の年(74年)に7勝6敗1セーブと頭角を現した新浦さんには、長嶋新監督も頼りにしていたと思うんですよ。

新浦 でも長嶋監督1年目の75年、僕は2勝11敗だったんですよ。こんなはずではないのになあと思いながら、来る日も来る日も投げさせられました。そんなに負けるということは、どこかに欠点があったんでしょうね。

──しかし、防御率3.33という数字は、そこまで打たれたわけでもないですよね。

新浦 確かに・・・

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