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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

【レジェンドを訪ねる】阿波野秀幸(近鉄ほか)インタビュー<2>『10.19』の第1試合、1点リードの9回裏無死一塁の2ボールから登板「結果はボールに聞いてくれ」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。近鉄、巨人、横浜で活躍した阿波野秀幸さん編の2回目は、1987年のプロ1年目から88年の「10.19」の第1試合9回途中までのお話を伺いました。
文=落合修一

阿波野秀幸


新人王を獲得したのに最下位だった1年目


──前回からの続きです。ドラフト1位で1987年、近鉄バファローズに入団。神奈川県で生まれ育ち、大学(亜大)は東都だった阿波野さんが大阪のチームに入り、戸惑いはありませんでしたか。

阿波野 生活面では多少、ありましたね。食べ物の味付けや言葉が少し違う。僕は最初、うどんに醤油を入れて食べていました(笑)。

──野球では。

阿波野 学生は負けたら終わりですが、プロは負けても明日がある。のちにほかのチームも経験しましたが、近鉄の切り替えが一番早かったです。たとえば巨人は負けたら敗因を振り返って分析したり、切り替えに時間が掛かるのですが、近鉄は完封負けしたら「どっちみち負けや!」みたいな。長いペナントレースを乗り切るためには必要なのかなとも思いました。

──しかし、そういうところが常勝軍団になれない原因かも。

阿波野 そうなんです。僕が入団したときは西武の黄金時代でしたが、たとえば工藤(工藤公康)さんと投げ合うときなんか、「打てるわけないんやから、今日は2点取られたら終わりや」と野手が言うんです。試合前からそんなこと言わないでくださいと思っていました(笑)。

──入団当時の岡本伊三美監督はどういう方でしたか。

阿波野 印象的なのは、僕は西武戦で工藤さんと投げ合うことが多く、なかなか勝てなかったんです。ローテーションをずらしてもらってほかの投手とぶつけられたほうが勝てるんじゃないかと思っているときにタイミング良く、岡本さんが「工藤に投げ勝つまではずっとぶつけるからな。乗り越えてみろ」と言ったのです。逃げるのではなく乗り越えろと。確かにそうですよね。そのためには工藤さんよりも失点が少ない投球をするしかない。西武打線を抑えるために、本気で研究しました。

──日本ハム西崎幸広投手とは新人王争いをしました。

阿波野 西やん(西崎)は・・・

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