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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

上田二朗(阪神ほか)インタビュー<3>勝ったほうが優勝という運命の巨人戦に先発「体調が良ければ、タイガースの歴史が変わっていた」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。阪神などで活躍したアンダースロー・上田二朗さんの最終回、22勝を挙げた1973年のシーズン終盤以降のお話です。
文=落合修一

上田二朗


中日戦の先発が自分から江夏に変更


──22勝とキャリアハイの成績を残した1973年のお話の続きです。シーズン最後の2試合を残した阪神は2位・巨人と1ゲーム差の首位にいて、10月20日の中日戦(中日)に勝つか引き分けなら優勝という状況になりました。

上田 その年の私は中日戦に8勝1敗と相性が抜群に良かったんですよ。

──しかし、大方の予想に反し、江夏豊さんが先発したという。

上田 中日戦の先発は私だと、投手コーチの柿本(柿本実)さんからもともと言われていたんです。ところが、試合前日に名古屋に移動して「やっぱり先発は江夏で行くことになった」と告げられました。それは監督(金田正泰)が決めることなので、私は監督に「自分じゃないんですね」と確認しました。すると金田さんは「うん、俺が責任を持つから」と。確かにそのときの私は疲れていて、調子があまり良くなかったんですよ。それでも、中日戦はベンチに入って、試合展開によっては二番手で行くことになっていました。

──その試合に阪神が敗れたら次の巨人戦(甲子園)が直接対決で、勝ったほうのチームがリーグ優勝。

上田 江夏は昔から巨人に強いので、中日戦に私が先発し、巨人戦に江夏が先発するのがベストだったんですよ。中日戦の中日の先発は星野仙一さんだったのですが、かなりあとになってから話したときは「(中日戦の)阪神の先発は上田君だと思っていた」と言っていましたから。

──一説には、当時の阪神の球団幹部が球団事務所で江夏さんに「優勝しなくていい」と言ったとか。

上田 そういう一部報道を、あとから知りました。優勝争いの最中に、球団幹部が一選手を球団事務所に呼んでそんなことを言うのか? と思いますよ。本当なら大変な問題です。僕ら選手が1年間かけて一生懸命やってきたことを全部否定される。あり得ないですよ。

──中日戦の江夏さんはベストを尽くしたものの結果的に敗れ、10月22日の巨人戦(甲子園)は上田さんが先発。2回途中4失点で敗戦投手になりました(最終的に0対9)。

上田 さっきも言いましたけどシーズン終盤は調子が悪く・・・

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