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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

ウォーレン・クロマティ(元巨人)インタビュー<1>頭部死球の翌日に代打満塁HR「運命が変わった」

 

昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。今回は1980年代の巨人の中心打者として打棒を発揮したクロマティさんです。まずは来日前、来日直後のお話を伺いました。
文=落合修一 通訳協力=クロマティ・カレン

ウォーレン・クロマティ


寒くても熱気があったモントリオール


──生い立ちから教えてください。

クロマティ アメリカのフロリダ州マイアミで生まれ、7歳のときに野球を始めたんだ。野球の先生は父。彼はニグロリーグ(編注:かつて存在したアフリカ系アメリカ人のリーグ)の有名な選手で、あのジャッキー・ロビンソン(元ドジャース)と一緒にプレーしたこともある。

──お父さんのようにプロ野球選手を目指したわけですか。

クロマティ 父の存在は大きく、立ち居振る舞いからネクタイの締め方まで教えてもらい、とても影響を受けた。僕の人生の先生と言える。野球の練習も、父はいつも僕の先頭に立ち、野球のやり方を教えてくれた。僕は良い生徒だった。

──やはりクロマティさんは同年代のほかの子どもと比べても野球が上手でしたか。

クロマティ 思い出すと、ヒットを打ったり、ボールを飛ばしたりする力は周囲より違ったんじゃないかな。少年時代のヒーローは、ピート・ローズ(元レッズほか)。僕のクラウチングスタイルの打撃フォームはピート・ローズの影響なんだ。ヘッドスライディングもね。

──クロマティさんは1973年にモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に入団し、メジャー・リーガーになりました。モントリオールの思い出は。

クロマティ 寒い。寒かったよ。雪も降った。でもスポーツが盛んな都市だった。アイスホッケーのチーム、フットボールのチームも人気があったけど、1969年に誕生したエクスポズは熱心なファンがたくさん応援してくれた。エクスポズは、アメリカ国外に誕生した初めてのMLB球団だった。その前はモントリオールにドジャース傘下の3A級のマイナー球団があり、ジャッキー・ロビンソンやロベルト・クレメンテ(元パイレーツ)もメジャー昇格前にプレーしていた。そういう歴史がある都市なのに、今はモントリオールにメジャーのチームがない。何とか取り戻したいね。僕はその活動もしている。

──クロマティさん自身のモントリオール時代の野球の思い出は。

クロマティ 81年に球団史上初めて地区優勝したこと。僕たちは勝ったんだ。あれは本当にうれしかった。後期優勝(編注:同年はストライキの影響で変則の前後期制だった)が決まったとき、ニューヨークのシェイ・スタジアムでカナダの国旗を持って喜んだよ。あれは特別な経験。ゲーリー・カーター、アンドレ・ドーソン、ティム・レインズは一緒に戦ったチームメートだった。3人とも・・・

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