昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。1980年代の巨人の中心打者として打棒を発揮したクロマティさんのインタビューは最終回ですが、次号から隔週の新連載が始まります。 文=落合修一 通訳協力=クロマティ・カレン 
ウォーレン・クロマティ
緩慢守備事件は川相が原因
──バンザイのパフォーマンスが懐かしいです。あれを始めたきっかけは何だったのですか。
クロマティ 誰かの結婚式で列席者全員がバンザイ三唱したのを、テレビで見たんだ。日本人はパーティーとか、お祝いするときにそれをすると知り、僕は気に入った。なぜ両手を上げるのか理由は分からなかったが、楽しそうだから僕もやってみたくなったんだ。中畑(
中畑清)さんは「俺がクロマティにバンザイを教えた」とテレビで言っているみたいだけど、僕は教えてもらった記憶がない(笑)。自分が打ってチームが勝ったときに「バンザイをしに行け」と言われたことはあっても、教わったわけではないよ。
──MLB時代のクロマティさんは最高でも年間14本塁打の中距離打者だったのが、巨人では3年連続30本塁打と長距離砲になりました。
クロマティ 僕は変わっていない。変わったのは環境だ。メジャーの球場は広い。日本は後楽園、神宮と狭かった。だから僕のスイングで打ったライナー性のボールが、スタンドに入ってしまう。日本に来ることを決めたときから、自信があったんだ。メジャーでやってきたことと同じようにすれば日本でいい成績を残せるじゃないかと。逆に
王貞治さんは日本で868本打ったけど、メジャーに行っていたら500本か600本くらいだったかもしれない。
──メジャーで500本も打てば、すごいですけどね。ところで、日本シリーズで
西武ライオンズと対戦したときの思い出は何かありますか。
クロマティ はっはっは(笑)。あれのことを聞きたいんでしょう。
──何も言ってないですよ(笑)。
クロマティ カットマンの件ね。
──1987年の日本シリーズ第6戦(西武)でセンターへの単打を捕球したら、一塁走者の
辻発彦選手にホームインされた件ですね。やはり、あの場面は今でも有名です。
クロマティ 僕は内野のカットマンにボールを返したかったのだが、(遊撃手の)川相(
川相昌弘)がそこにいなかった。「川相はどこ?」と探している間にも、一塁走者は走り続けていた。やっと投げ返したら・・・
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