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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

中尾孝義(元中日ほか)インタビュー<1>高校時代の江川を初めて見て「お尻の大きさに驚いた」

 

昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。今回からは1982年のセ・リーグMVP捕手・中尾孝義さん(元中日ほか)。まずはアマチュア時代のお話からです。
文=落合修一

中尾孝義


捕手転向は高1秋の新チーム


──生い立ちから教えてください。

中尾 生まれは兵庫県の加西市というところです。豆腐屋さんをやっている広い家でした。田んぼや牧場もあり、毎日豆腐やお肉を食べ、新鮮な牛乳を飲んで育ちました。丈夫な体はそこでつくられたのかもしれません。親父には弟がたくさんいて、全員が野球好き。家の2階に親父の姉夫婦が住んでいて、その息子、僕の6歳くらい上の従兄弟も野球をしていて、中学の野球を見に行っていました。僕が野球を始めたのはその従兄弟の影響が大きいです。まあ、あの時代、男の子はみんな野球で遊んでいましたよ。最初は駄菓子屋さんで売っているゴムのボールを手で打つような。

──そのころから野球が上手だったのですか。

中尾 上手かどうかは分かりませんが、すばしっこかったですね。足が速かった。小学校の運動会ではヒーローでした。市内の学校対抗運動会があり、ソフトボール投げという遠投の競技に出場して、小5、小6と2年連続で優勝しました。

──中学では野球部に?

中尾 はい。3つ上の姉と地元の中学校(加西市立北条中)で入れ替わりだったのですが、僕が小6のときに姉は中学の野球部の先生から「弟は野球部に入るのか? 絶対に入らせろよ」と言われたそうです。

──地元で有名だったのですね。

中尾 中学の野球部で初めて本格的なチームでプレーしました。2年で三塁のレギュラーになり、たまに投手をやりながら、三番や四番を打ちました。市内ではそこそこ強いチームで、僕は「北条中に中尾あり」と言われましたね(笑)。

──中学時代の思い出は。

中尾 兵庫県の田舎だったので、当然のように阪神ファンだったのですが、あるとき、吉田義男さんが野球教室に来てくれたんですよ。

──吉田さんは1969年限りで現役引退しました。

中尾 現役最晩年だったと思います。内野守備のこととか、いろいろ指導していただき、感激しました。僕がプロになってから、そのことを吉田さんに言ったことがあるんです。そしたら・・・

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