昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。元巨人の正捕手・村田真一さんの最終回は、槙原寛己投手の完全試合をリードした話と、現役引退の話を中心に伺いました。 文=落合修一 
村田真一
局部麻酔でも「痛くて失神」
──1994年の「10.8」のお話を
前回伺いましたが、あの年は槙原寛己投手の完全試合(5月18日、
広島戦=福岡ドーム・現みずほPayPay)もありましたね。
村田 あの試合はね、6回が終わったとき、ベンチに戻ったらシーンとしていたんですよ。「村田、知っているか。完全試合やっているぞ」と誰かに小声で言われたのですが、そんなこと知っていますって(笑)。だからベンチでマキ(槙原)に大きい声で言ったんです。「お前、ノーヒットノーランやってみろよ」と。完全試合は無理だと思っているから(笑)。周囲は「お前、何を言っているんだ!」と慌てた顔をしていましたけど。7回からは相手の上位打線が3回り目になるわけでしょう。打たれるに決まっているじゃないですか。
──槙原さんの反応は?
村田 マキは「お、おう……」って。そしたら、7回、8回と抑えた。そこまで来ると、残りは9回だけ。(完全試合が)あるかもしれないなと。で、マキは完全試合とノーヒットノーラン、どっちが優先なのかなと疑問だったのです。なぜなら、フルカウントになったとき、完全試合狙いなら四球になるかもしれないフォークを投げさせられない。そういう局面になったらマウンドに聞きに行こうと思っていましたけど、そうならないうちに達成しましたね。
──あの日の槙原さんの投球は、普段と何が違ったのですか。
村田 コントロールがいつもよりも良いなと思っていましたね。あと、広い福岡ドームだったから、インコースを大胆に攻められたんです。あの球場ならバットに当てられてもスタンドに入れられないだろうと。それが前半の組み立てで、後半はスライダーとフォーク中心に変えました。でもね、僕の仕事はチームを勝たせるためにどうするか。
藤田元司前監督に言われたことがあります。「お前が打てなくてもチームが勝っていれば使うぞ。でも、お前がいくらホームランを打とうが、チームが連敗したら外すからな」って。捕手とは、そういう役割なんです。
──だから村田さんは完全試合のプレッシャーを感じず、平常心でリードできたのですか。
村田 すごいのは槙原なんですよ。完全試合は槙原の記録であって、僕の記録ではない。それでもいまだに、取材で聞かれますけどね。
佐々木朗希が完全試合を達成したとき(
ロッテ時代の2022年4月10日、
オリックス戦=ZOZOマリンで達成)なんかもコメントを求める電話が新聞記者から来ましたよ。
──では、次の話題に行きましょう。99年4月9日の横浜戦(横浜)で、村田さんは顔面に死球を受けました。
村田 あのときは、手術が・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン