昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。元大洋の捕手・92歳の土井淳さんの最終回は、阪神ヘッドコーチ時代のお話と若い世代へのメッセージを伺いました。 文=落合修一 
土井淳
吉田監督に誘われ、タテジマを着る
──インタビューは今回が最終回です。土井さんは1968年に現役引退されました。野球人生を振り返り、後悔していることはありますか。
土井 そうですね。現役時代というよりも、監督を辞めたときですね。僕が80年に大洋(現
DeNA)の監督になったとき、当時のオーナー(中部新次郎)から「最低でも5年間は監督をして、チームを立て直してくれ」と言われたのに、2年目に長嶋問題が起こって、志半ばで退団するしかなかった。
──80年限りで
巨人監督を辞任した
長嶋茂雄さんを大洋が新監督に招聘(しょうへい)しようとした件ですね。
土井 僕は無理じゃないかと思っていたけどね。あれは悔しかったね。
──土井さんはその後、85年に阪神のヘッドコーチに就任。その1年目に阪神は優勝しました。
土井 あのときはヨッさん(
吉田義男)の2回目の監督の1年目でしょ。1回目のとき(75〜77年)も呼ばれたんだけど、まだ僕は大洋色が強かったから断ったんです。
──その時点の土井さんには大洋監督になる将来がありましたからね。
土井 で、2回目に誘われたときは、大洋以外の球団でやってみるのも勉強になっていいかなと。僕はヘッドコーチだったけど、ヨッさんにはバッテリーを見てくれ、特に捕手を育ててくれと言われました。では、どんな捕手がいるのかなと見渡したら・・・
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