昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。日本ハムほかでマスクをかぶった田村藤夫さん編の最終回は、ロッテに移籍してダイエーで現役引退するまでのお話を伺いました。 文=落合修一 
田村藤夫
広岡GMのロッテに移籍
──1996年に日本ハムからロッテへ移籍した話の続きです。
田村 あの年は
広岡達朗さんがGM2年目で、監督は
江尻亮さんでした。捕手は定詰(
定詰雅彦)がいましたが、僕も90試合くらいは出たんじゃないかな。結構使われたんですよ。小宮山(
小宮山悟)や伊良部(
伊良部秀輝)、
エリック・ヒルマン、若かった黒木(
黒木知宏)のボールも受けました。リリーフ陣にも河本(
河本育之)、成本(
成本年秀)といて、投手陣はレベルが高かったですよ。
──伊良部投手のボールはやはり速かったですか。
田村 そうですね。僕が受けた中で、捕手生活で最速だと思います。フォークも速かった。ただ、広岡さんと揉めていたので、気分が乗らない日がありました。真剣に投げれば「誰にも打てないだろうな」というものすごいボールだったんですけど。
──選手と広岡GMの関係は良くなかったと聞きます。
田村 伊良部が代表格ですよね。その前年のバレンタイン監督が2位にしたのに、1年で切っちゃったものだからね。後任の江尻さんは悪い人じゃないと思うのですが、ちょっとタイミングが悪かったですね。
──田村さんは当事者ではなく客観的に見ていた感じで。
田村 1年しかいなかったのでそこまで深くは知りませんが、うまくいっていなかったように見えましたよ。ただ、僕自身は試合で使ってもらえた。濃い1年でしたね。昔からの顔なじみである
西村徳文や
平野謙さんがいたので、チームの中にすんなり入れました。前年まで敵だったのにすぐに溶け込めましたね。
──ファイターズ以外のチームを初めて体験して、気付いたことは何かありました?
田村 たぶん、僕がロッテにいたときは広岡さんがいたので、ちょっと特別だったんだと思うんですよ。監督がやりたい野球をできていたのかというところがね。どうしても、上からの指示みたいなことがあったのかもしれないですね。GMの現場介入がね。それ以外は、特別ということはなかったと思うんです。
──現場介入、ありましたか。
田村 マリンスタジアムでの練習のときだったかな・・・
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