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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

渡辺久信(元西武ほか)インタビュー<2>プロ入り当時の広岡達朗監督は「今でも怖いです」

 

昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。西武ライオンズ黄金時代の右のエース・渡辺久信さんの2回目は、プロ入り当時のお話からです。
文=落合修一

渡辺久信


軍隊のような厳しい寮生活


──前回からの続きです。1984年にドラフト1位で西武ライオンズに入団。広岡達朗監督の厳しそうな管理野球を心配しながらのプロ入りでしたが、実際はいかがでしたか。

渡辺 厳しかったですよ。でも野球の練習はそうでもなかったです。そこはやっぱりプロなので、効率的。長い時間ダラダラという感じはなく、練習自体は高校のときのほうがつらかったです。プロの練習が厳しくなかったとは言いません。それなりに大変でしたけど、ついていけるレベルではありましたね。

──厳しかったのは生活面で?

渡辺 広岡監督のときはほとんど1年間、休日がなかったんです。たまに息抜きはありましたけど、今だったらあり得ないですよね。当時はまだまだ軍隊式でした。

──所沢市の合宿所は思っていた東京のイメージと違っていた、というのはありましたか。

渡辺 いや、もともと華やかな東京のイメージを持っていなかったですよ。所沢のイメージは分からなかったですが、東京みたいな大都会とは思っていませんでした。まあ、遊びに行く場所はありました。安いスナックとか。銀座みたいな高級クラブじゃなくてもいいなら立川もすぐだったし、あることはありました。それはもう、地元の群馬に比べれば全然ありましたね。

──では、合宿所の生活で一番苦しかった点は。

渡辺 門限ですよ。やっぱり寮の門限があったのが一番面倒くさかったですね。

──何時までに帰ってこいと。

渡辺 ありました。門限もあったし、朝になると場内放送で一斉に起こされるんですよ。それから散歩、体操と集団行動。キャンプだけではなく、普段のシーズン中でも。まるで軍隊でしたよ。寮長が軍隊上がりの人だったんですね。しっかり起きろと言われ、朝はみんな眠い顔で外に出るんです。最初のうちは西武球場(現ベルーナ)まで走っていたんじゃないかな。2週間ぐらいで途中から散歩になりましたけど。で、体操をして、それから朝食。朝の点呼があるし、夜にも点呼がある。軍隊みたいな管理生活でした。でも、たまにいない人がいたりして、「あれ?」と思ったりとか。

──いないと、バレるんですか。

渡辺 うまくやる人もいて、バレないときもあります。朝の散歩や体操の途中でさり気なく帰ってきて、知らん顔してうまく紛れ込む人はいましたね。

──渡辺さんはどうでした?

渡辺 意外と(?)真面目に参加していました。でも・・・

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