昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。西武ライオンズ黄金時代の右のエース・渡辺久信さんの3回目は、1988、89、90年の3年間の話題が大部分を占めました。 文=落合修一 
渡辺久信
別格だったブライアント
──
前回からの続きです。西武が優勝を逃した1989年、ポイントとなったのは近鉄とのダブルヘッダー(10月12日、西武=現ベルーナ)で連敗したことですか。
渡辺 あの年にリーグ優勝していれば、結果的に10連覇だった。その悔しさはやっぱりありますよ。あの日は普段と違う雰囲気でした。
──第1試合の西武の先発は
郭泰源投手でしたが
ブライアント選手に満塁弾を含む2打席連続本塁打を打たれ、5対5の同点。8回表の先頭打者がブライアント選手という場面で渡辺さんがリリーフ。
渡辺 ブライアントを抑えるために自分が行く、という構図でした。その2日前の近鉄戦(西武)に先発して8回(3失点で敗戦投手)を投げたので体はしんどかったですが、そこは迷いなく、チームの役割として受け止めていました。
──もともとブライアント選手を得意としていた?
渡辺 ほとんど打たれた記憶がなくて、相性は良かったと思います。私はどういうボールで空振りを取れるかというコツを分かっている感覚がありました。
──郭泰源投手が2本打たれたあとなら、ベンチは交代させたくなりますよね。
渡辺 そうなんです、大事な試合だからこそ、逃げられないというか。(
森祇晶)監督としても、あの流れを放っておくわけにはいかないですからね。
──ところが、1-2と追い込んでからの4球目を右翼席に。
渡辺 すごかったです、あのときのブライアントは本当に別格でした。あのボールは私の失投ではありません。ブライアントは力でねじ伏せたというより、感覚が研ぎ澄まされていた。打つべくして打ちました。いつもなら空振りする高めのゾーンを打たれたのは初めてでした。ブライアントには普段とは違うオーラがありました。いつも以上に「打つぞ」という・・・
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