昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。西武ライオンズ黄金時代の右のエース・渡辺久信さんの4回目は、1997年限りで西武を退団してからのお話を伺いました。 文=落合修一 
渡辺久信
26歳のシーズンから年齢的な衰えが……
──
前回からの続きです。西武ライオンズの主力投手として活躍した渡辺さんの個人成績を見ると、1990年の18勝10敗をピークに、91年くらいから徐々に……。
渡辺 だいぶ落ちましたね。年齢的なものもあったし、私の場合はあれだけのイニングを投げていたので、休みなく投げ続けた蓄積疲労は絶対にありました。
──年齢的とおっしゃいますが、91年ならまだ26歳ですよね。
渡辺 今の時代ならトレーニングでもうちょっと選手寿命が延びたんでしょうけど、あの時代の投手は30歳くらいになれば引退という感じだったので。
──速球派から技巧派へのモデルチェンジは画策しましたか。
渡辺 そういう言い方がありますけど、私は嫌いなんですよ。自分の中では技巧派になろうと思っていなかったし、「速球派」と呼ばれていたときも速球だけ投げて勝ったのではなく、変化球も使っていました。ただ、やっぱり変化球の精度を今まで以上に上げないと厳しくなる、とは思いましたけどね。
──91年以降、NPBでの8年で勝ち越しは1回だけ(94年)。防御率3点台前半以下の年は一度もありませんでした。
渡辺 若手投手も出てきて自分のチャンスが少なくなったり、いろいろありました。体は元気だったので、トレードに出してほしいな、と思うようになりました。
──97年オフに西武から
ヤクルトへ移籍。
渡辺 クビになったんですね。いわゆる戦力外。あの年は全然ダメ(0勝2敗)で、ある程度給料も高かったので自分でも嫌な予感があったんですが、その年の戦力外通告期間はもう過ぎていたんです。球団から呼ばれたのは11月下旬だったかな。トレードだと思ったら、戦力外通告。他球団の秋季キャンプも終わるころだったのに……。解説者になるならテレビ局とかメディアを紹介すると言われたのですが・・・
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