昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。ロッテ一筋17年、“ミスター・マリーンズ”こと初芝清さんの3回目は、プロ入り当時のお話を伺いました。 文=落合修一 
初芝清
どうしてお前に教えないといけない?
──1989年、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団。当初の印象はどうでしたか。
初芝 最初から一軍の鹿児島キャンプに参加したのですが、社会人(東芝府中)より練習が楽だなと。プロも厳しいことは厳しいのですが、やはり長いシーズンに向けての調整です。物足りなさを感じて自主的に居残り練習を続けたら、練習熱心な新人みたいに言われましたね。それでもシート打撃や紅白戦が始まると、
永野吉成(現
中日スカウト)のボールを見て、プロの投手はこんなに速いのかと驚きました。途中まで順調だったのですが、オープン戦で右中間にヒットを打って、二塁にスライディングしたときに左肩を脱臼したのです。それが3月中旬くらいで、開幕一軍は無理でした。
──記録によると、初出場は5月30日の
日本ハム戦(川崎)。当時のチームはどういう雰囲気でしたか。
初芝 年齢の離れた選手は社会人にもいましたが、プロとなるとちょっと違いました。社会人は同じ会社の社員として仲間意識が強く、都市対抗のためにチームがまとまる感じがありました。プロももちろん優勝を目標にやるのですが、どうしても個人主義の側面があります。練習のときに先輩の打者に技術的なことを質問しても、「どうしておまえに教えないといけないんだ」と断られたこともあります。
──当時のチームの「顔」は、
愛甲猛選手。怖かったですか。
初芝 愛甲さんは全然、普通です。高校のときからのイメージが世間であったかもしれませんが、普通に優しく接してくれる方でした。怖い先輩は、別の人です(笑)。
──86年までは
落合博満さんもロッテにいたんですよね。
初芝 東芝府中の先輩ですけど、僕は直接の接点がありませんでした。同じ企業出身の右の三塁手という共通点があったので、よく比較されたのですが、僕が目指していたのは中距離ヒッターでしたし、「そう言われてもな……」と思っていました。
──90年まで現役だった
村田兆治さんはどうですか。
初芝 投手なので、やはり接点がなかったですね。キャンプの全体練習にも入ってきませんでしたから。ただ、一度、トレーナー室に用事があって行ったときに村田さんと袴田(
袴田英利)さんがマッサージを待っていて、暇だったのか「おまえ、今ここで何か一発芸をやれ」と言われたことがあります・・・
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