昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。ロッテ一筋17年、“ミスター・マリーンズ”こと初芝清さんの最終回は、1999年から現役最終年までのお話を伺いました。 文=落合修一 
初芝清
優しかったコーチがあんなに変わるなんて
──1999年に
山本功児さんが監督に就任しました。
初芝 打撃コーチをされていたときは親身に指導してもらって、お世話になりました。FA移籍の予定を宣言残留に変えたのは、功児さんだったからですよ。
──どういう監督でしたか。
初芝 監督という立場になったらガラッと変わりましたね。コーチのときは何でも相談できたのですが、チームのトップとなったら同じ接し方ができなくなりました。
──具体的には?
初芝 開幕11連敗したときですね。
──2002年。
初芝 ベテラン勢に強く当たるようになったんです。簡単に言うと、負けているのはおまえらのせいだと、僕と堀(
堀幸一)と諸積(
諸積兼司)が福岡で言われたのです。
──調べると、福岡遠征は4月1〜3日で開幕3〜5連敗のときですね。
初芝 ホテルに帰ってきて、すぐに内線電話が鳴りました。マネジャーから「明日からファームに行ってくれ。監督がそう言っているんだ」。それなら、今夜は福岡の街にパーッと繰り出そうと支度をしていたら再び内線が鳴り、今度は「やっぱり一軍にいてくれとなった。さっきは監督が感情的になっていた」。その後もメチャクチャでした。途中からスタメンではなく代打出場が多くなったのですが、やっぱり自分の立場は試合終盤の勝負どころが多かったので、試合の前半はベンチに座って流れを見ながら出番に備えているわけですよ。しかし、あるとき、3回くらいにいきなり代打と言われ、「なんで準備してねえんだ」と怒られました。そういうことがあったので今度は試合が始まるとベンチ裏で素振りをして準備をしたのです。そうしたら今度は・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン