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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1960年8月11日>これも三原魔術? 20歳・島田源太郎が史上最年少(当時)の完全試合

 

右からの強風が吹いていたために右打者には外角を中心に攻め、完全試合を達成した島田


大毎のテストに落ち、2年間でわずか6勝


 2022年4月10日。ロッテ佐々木朗希が本拠地・ZOZOマリンでのオリックス戦に先発し、史上16人目の完全試合を達成したのはいまだに記憶に新しい。日本タイ記録の19奪三振、そして新記録の13者連続奪三振を成し遂げた快投は「完全」と呼ぶにふさわしいものだったが、新記録はもう一つある。年齢だ。20歳5カ月での達成は最年少記録を更新するものであった。では、それまでの最年少記録保持者は誰だったのだろうか。

 1959年オフ、それまで6年連続最下位と長期低迷が続いた大洋に新監督が就任した。56年から西鉄を3年連続日本一に導いた名将・三原脩である。60年、三原は「魔術師」と呼ばれた手腕を発揮し、二流と呼ばれた選手たちを適所で活用した。その結果、チームは予想外の躍進を遂げ、激しい優勝争いを演じるまでになった。そんな大洋の先発の柱として奮闘したのが入団3年目、20歳の右腕・島田源太郎である。正捕手の土井淳をして「内角の高めと低め、そして外角低めへのコントロールはピカイチだった」と言わしめたコントロールの良さと、179cmの長身から投げ下ろされる重い直球、そして大きく縦に割れるカーブで、下手投げのエース・秋山登と2本柱を形成した。8月7日の国鉄戦(駒沢)に完封で勝利した時点で、島田はチーム2位の12勝を挙げていた。

 しかしこの島田も・・・

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