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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1970年8月26日>頭部死球で昏倒! のちに耳当てヘルメットが導入されたスター選手の悲劇

 

当時の田淵幸一[阪神]はプロ2年目で、将来を嘱望されたスター選手。選手生命を絶たれなかったのは何よりだった[写真=スポーツニッポン大阪本社]


メジャーでは亡くなった打者も


 わずか18.44mしか離れていない打者に対して、時に150キロを超える速度で石のような硬球が投じられる野球の世界。その矛先が打者自身であれば、ボールは「凶器」にもなり得る。特にそれが、人体の最もデリケートな場所の一つである頭部であれば尚更だ。

 頭部への死球による最も悲劇的な犠牲者として、インディアンス(現ガーディアンズ)の主力打者だったレイ・チャップマンの名前が挙げられる。1920年8月16日のヤンキース戦、チャップマンは下手投げのカール・メイズの速球を頭部左側のこめかみに受けて昏倒(こんとう)、翌日息を引き取った(当時打撃用ヘルメットは導入されていなかった)。

 日本では水谷実雄が事実上、選手生命を絶たれている。83年、広島から阪急に移籍してきた水谷は35歳にして自己最多の36本塁打、114打点(打点王)を記録した。一層の活躍が期待された84年、3月31日の開幕戦(対ロッテ=西宮)で悲劇は起きた。リリーフ投手の土屋正勝のボールが頭部に命中。骨折、三半規管損傷の重傷を負った水谷は長期離脱を余儀なくされた。その後、復帰こそしたものの後遺症もあって成績は低迷。わずか3本の本塁打を上乗せしただけで、翌年限りでユニフォームを脱いだ。

 死球がきっかけとなって内角球に恐怖心を抱くようになり・・・

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