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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1981年9月16日>メジャーが驚き、称賛した「本塁打キャッチ」は本人にとって「必然」のプレー

 

1回表の二番打者・弘田澄男[ロッテ]の打球なので、プレーボール直後の出来事。このときの写真は米国の野球殿堂博物館に飾られた


エース・山田久志は「やられた」と思った


 山森雅文がロッテの一軍外野守備走塁コーチだった年だから、2011年。京セラドームで行われたオリックス対ロッテ戦を私はテレビで見ていた。当時売り出し中だった岡田幸文の好守備を解説の福本豊(元阪急)が褒めた。彼自身、12年連続でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を受賞した外野守備の名手である。次に福本は実況担当のアナウンサーにロッテの外野守備コーチが誰かを尋ねた。アナウンサーが山森の名前を告げると、福本は言った。「それならば納得だ。彼は私の弟子ですから」。

 1979年に熊本工高から阪急に入団した山森は、当時から「足と守りでは将来福本を抜く」と評されたほどの外野手であった。しかし肝心の「打」に難があった。随所で印象的な一打を放ったが、16年間のプロ生活で通算安打は289本。規定打席に到達したことは一度もない。だが、その山森が福本に引けを取らない守備力を発揮し、今日まで伝わるスーパープレーを見せたことがある。それは81年9月16日に本拠地・西宮球場で行われたロッテ戦であった。

 この日の阪急の先発は、エースの山田久志。1回表ロッテの攻撃、一死の場面で二番の弘田澄男が右打席に入った。小柄ながらシュアな打撃が持ち味の巧打者だ。その弘田が山田の投じた3球目・・・

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