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<1998年9月27日>わが選んだ道に悔いはなし! 広島・大野豊が惜しまれつつの引退登板

 

現役最終年は防御率2.91。大野豊は最後まで戦力として勝ち試合に貢献しながら、マウンドを降りた


軟式からテスト入団、1年目は防御率135.00


 実績を残したプロ野球選手が自ら引退を決意するとき、大きく分けて二つのパターンがある。一つは肉体を限界まで酷使し、刀折れ矢尽きて引退するというもの。さしずめ野村克也がその代表例ということになろうか。もう一つは余力を残して鮮やかに現役を去るというもの。その例として、広島のサウスポー・大野豊の名前を挙げることに異論がある人は、恐らくいないだろう。

 135.00。1977年、出雲市信用組合(軟式)からテストで入団した大野の、その年の防御率である。9月4日の阪神戦(広島)でプロ初登板した22歳の大野は、わずか一死を取っただけで満塁弾を含む5安打を浴び、5失点を喫した。この年の登板はその1試合だけ。ここまで最悪なスタートを切った投手も稀(まれ)であろう。大野自身「ここでプロは終わった」と思ったという。そんな大野に2本の電話があった。1本目は広島入団にあたり世話になった山本一義打撃コーチからだった。「早めに物事を考えて自殺するなよ」と山本は言った。2本目は大野を一人で育ててくれた母からだった。

「たった一回の失敗であきらめるんじゃない。もう一回頑張りなさい」

 この電話で大野は・・・

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