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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1982年10月9日>個人から、組織の時代へ──。プレーオフ初日のバント作戦で江夏が広岡監督に攻略される

 

西武日本ハムによるパ・リーグの前後期プレーオフ第1戦[西武]は0対0の8回裏に西武打線が日本ハム・江夏をバント攻撃で一死満塁と追い詰め、代打・大田卓司の2点適時打で勝負を決めた


「俺と広岡さんとの勝負だ」(江夏)


 1981年オフ、広岡達朗が西武の監督に就任したとき、元巨人監督の川上哲治は言った。

「ライオンズは必ず強くなる。少なくとも3年後には日本一を争うようなチームになると思う。広岡はそうすることができる男だ」

 川上は半分正しく、半分読み違えた。広岡率いる西武は確かに日本一を争うチームになった。だがそこまでの期間はたった1年に過ぎなかった。82年、広岡は徹底した管理野球、組織野球で6年連続Bクラスだった西武をいきなり前期優勝に導き、プレーオフ進出を果たしたのである(当時パ・リーグは前後期制)。

 相手は前年の覇者・日本ハム。後期制覇の立役者は当代随一の抑え投手である江夏豊だった。前年MVPのサウスポーは、この年も8勝29セーブ(37セーブポイント)を挙げて4年連続となる最優秀救援投手のタイトルを獲得していた。

 この江夏を倒さなければ、優勝はない。広岡は選手に檄(げき)を飛ばした。

「江夏が出てくる前に勝負を決めようと思うな。江夏を倒すんだ」

 肥満体の江夏は守備を苦手としていた。広岡はそこに目をつけ、選手たちに徹底したバント練習を命じた。マウンドに向けてプッシュバントを繰り返す。そうして江夏をかく乱しようとしたのである。新聞報道で江夏は西武がバント練習をしていることを知っていた。そのうえで江夏は・・・

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