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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1976年11月2日>孤独のマウンドで4万5967人と戦った男が「巨人を倒して日本一」

 

この時点で日本シリーズ通算23試合目[対巨人戦に限っても20試合目]の登板だった阪急・足立光宏は、後楽園球場の大観衆に囲まれた孤立無援の状況にも動じなかった


阪急は日本シリーズで巨人に5年も負けていた


 その日、巨人ファンは奇跡の存在を確信したに違いない。

 1976年11月1日。後楽園球場にて巨人対阪急の日本シリーズ第6戦が行われた。前年日本一の阪急は、初戦から3連勝して早々に王手をかけた。4戦と5戦は敗れたものの、第6戦は5回表が終わったところで7対0と阪急が大量リード。連覇は目前だった。しかし巨人はここから怒涛(どとう)の反撃を見せた。8回に追いつくと、延長10回裏、高田繁のサヨナラ打で大逆転勝利を収めたのだ。

 75年、監督に就任した長嶋茂雄率いる巨人は低迷し、球団創立以来初の最下位に沈んだ。逆襲を誓った巨人は張本勲加藤初クライド・ライトらを補強。76年は前年から一転、リーグ優勝を果たした。そして日本シリーズでは3連敗からの3連勝。長嶋はドラマチックな活躍でファンを魅了し続けた男だった。今回も奇跡を起こすはずだ。第6戦を見た巨人ファンはそう思ったことだろう。

 一方、阪急ナインは失意の底に沈んでいた。手酷い逆転負けで勢いは完全に巨人に移った。西本幸雄監督時代、阪急は日本シリーズで巨人に5度挑み、5度敗れている。監督が上田利治に代わり、75年は広島を破って初の日本一に輝いたものの、阪急の究極の目的はあくまで「打倒・巨人」。その願いは今年も夢と終わるのか……。そんな暗い雰囲気の中、一人だけ淡々としていた男がいた。

 足立光宏。チーム最年長、36歳のアンダースロー投手で・・・

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