死にたいくらいにあこがれた“巨人軍”
子供のころの初恋の思い出というものが、誰にでも一つくらいはあるはずだ。それが甘酸っぱいものであるにせよ、苦いものであるにせよ、人は初めての恋を経て出会いや別れを繰り返し、やがて大人になっていく。相手の記憶は徐々に薄れていき、思い出だけが静かに胸に残る。初恋とはそういうものだろう。
だがもしも初恋の相手が、いつまでも自分の身近にいて、変わらぬ魅力を振りまいていたらどうだろう。しかもその相手が、ある日自分に手を差し出してきたとしたら──。
西武の四番として君臨していた清原和博にとっての「初恋」の相手は巨人だった。大阪出身ではあったが、大好きだった祖父の膝の上で巨人戦の中継を見ながら清原は育った。巨人ファンだった祖父は言った。「和博、日本一の男になれよ」。日本一の男とは巨人を優勝させる男であり、当時の清原にとってそれは「世界のホームラン王」
王貞治だった。清原は王に、そして巨人の四番にあこがれた。
やがて進学した名門・PL学園高で清原は1年生から四番を任された。甲子園には5度出場しホームランを連発。高1、高3の夏にはチームを全国優勝に導いた。1985年のドラフト会議で一番の注目選手となったのは、だから当然のことだった。清原の希望球団は巨人。そして巨人もまた清原を指名するだろうと思われた。会議前日には監督になっていた王からも直々にあいさつの電話があったという。
ドラフト当日、実に6球団が清原を1位で指名した。西武、
阪神、
中日……。だがその中に巨人の名前はなかった。当時投手陣の立て直しが急務と言われていた巨人が指名したのは、同じPLのエースであり、早大進学を表明していた
桑田真澄だった。
クジ引きの結果、清原の交渉権を獲得したのは西武。だが・・・
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