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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1976年4月18日>セ先発初勝利がノーヒッター。ミスターを助けた「鉄仮面」、仮面を脱いで満面の笑み

 

前年の1975年に広島の初優勝を後楽園で決められ球団史上初の最下位に沈んだ巨人にとって、敵地・広島で加藤初がノーヒットノーランを決めたのは痛快な出来事だった


プロ入り時は巨人の誘いを断った


 1971年、ノンプロ大昭和製紙には左右のプロ注目投手がいた。技巧派サウスポーの安田猛と速球派右腕の加藤初である。だがドラフト会議で指名されたのは安田だけで(ヤクルト6位)、加藤の名前が読み上げられることはなかった。主力投手を2人同時に失うことに拒否反応を示した会社に配慮したためである。プロ入りを熱望していた加藤はこれに憤り、半ば強引に退社してしまう。

 ドラフト外での入団が可能になった加藤に、さっそく6球団が声を掛けた。その中には当時「V9」の真っただ中で、人気・実力ともに日本一の巨人も含まれていた。だが加藤は巨人の誘いを断った。

「僕の性分として、金ではなくて、弱いチームへ行ってそのチームを強くすることに生き甲斐を感じます。だから弱いチームへ行きます」

 こうして加藤が入団を決めた球団は、「黒い霧事件」の影響もあり2年連続最下位と低迷していた西鉄ライオンズだった。これ以上ない「弱いチーム」である。72年も最下位に終わった西鉄にあって、加藤はルーキーながらフル回転、17勝を挙げて新人王に輝いた(ちなみに同年のセ・リーグ新人王は安田であった)。

 74年にも12勝するなど東尾修とともにチームを支えた加藤だったが・・・

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