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<1971年5月3日>ゲームセット=敗戦が一転、史上唯一の「5者連続本塁打」は暴れん坊軍団の最後のひと暴れ?

 

1971年5月3日のロッテ対東映戦[東京]の試合の写真は弊社に残されていない。写真は5者連続本塁打を打った作道烝[左上]、大下剛史[左中]、大橋穣[左下]、張本勲[右上]、大杉勝男[右下]


二塁手・山崎裕之の落球がなければ……


 試合は終わったはずだった。

 1971年5月3日。東京球場でロッテオリオンズ対東映フライヤーズ(現日本ハム)の5回戦が行われた。試合は江藤慎一に2本のホームランが飛び出すなどロッテ優位で進み、6対2で9回表、東映の攻撃、二死一、二塁の場面を迎えた。あとワンアウトでロッテの勝利である。

 そして代打・末永吉幸の打球はショート前に転がった。これを遊撃手の広瀬宰がさばいて二塁手の山崎裕之に送球、前川芳男塁審はアウトをコールした。試合終了である。「今日のヒーロー」と呼ぶべき江藤は捕手の醍醐猛夫とにこやかに握手を交わした。前年優勝のロッテはこれで3連勝を果たした……、はずだった。

 だが、このジャッジに東映の田宮謙次郎監督は猛抗議をした。山崎が落球したというのである。前川は山崎と走者の後ろにいて落球が見えなかったことを認め、二死満塁からの試合続行となった。判定が覆ったわけだが、ロッテの濃人渉監督はこれを了承した。満塁とはいえ二死、加えて4点差である。大したことはないと思ったのかもしれない。その判断が甘かったことを、濃人はこのあと痛感することになる。

 首の皮一枚から「生還」した東映の打線はここで火がついた。今井務と大下剛史が連続適時打を放ち1点差に迫ったのである。ツキもあった。次の大橋穣が遊ゴロに終わり、今度こそ試合終了かと思いきや・・・

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