
中日・中尾の左中間への打球を走りながら捕球した左翼手・吉村[写真上]は中堅手と激突。この直後、担架で運ばれた
事故がなければ2000安打?
「19歳なんてウソだろ。あんなすごい打者はメジャーにもそういないよ」。MLB通算314本塁打を誇る
レジー・スミスは驚嘆した。
「ジャイアンツだけじゃない。今後の球界を背負って立つ選手。あと15年は
巨人のクリーンアップを打つだろう」。現役時代に本塁打王を5回獲得した
青田昇は断言した。
「初めて四番のライバルと思った選手」。
原辰徳は表情を引き締めた。
世代を代表するトップ・プレーヤーだけが門をくぐることが許されるプロ野球の世界。その中にあって、
吉村禎章は早くから「天才」と評された左打者だった。1982年、PL学園高からドラフト3位で巨人に入団すると、入団4年目の85年に規定打席に到達し、打率.328、16本塁打を記録。長打力も徐々に伸ばし、87年には打率.322、30本塁打、86打点という好成績を残した。
この時点で、吉村はまだ24歳。このまま行けば、2000安打達成は間違いなかっただろう。本塁打も300本以上打ったかもしれない。だが、そうはならなかった。88年7月6日。厚い雲に覆われた札幌円山球場での中日戦で悲劇は起こった。
この日、吉村は第2打席で3試合連続となる一発を右翼席に放った。それは彼にとって記念すべき通算100号目となる本塁打だった。調子はよかった。打率も3割をキープしている。肝心の試合も、7回を終えた時点で9対1と大差でリードしていた。
8回表、吉村はレフトの守備に就いた・・・
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