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<1973年7月11日>パ・リーグ前後期制の初年度 カネやん敗れ、前期Vならず。それでも5万3000人の大盛況

 

この年、21勝を挙げて自身2度目の最多勝のタイトルを獲得したロッテ・成田だったが、この日は打たれた[右は金田監督]


3タテすれば前期優勝


 人気向上を目指したパ・リーグが前後期2シーズン制を導入した1973年、その前期最終盤において、優勝争いは2チームに絞られていた。南海(現ソフトバンク)とロッテである。首位の南海は、7月8日に前期日程を終えた。最終成績は38勝26敗1分けで勝率は.594。2位のロッテは、この時点で34勝25敗3分け。残り3試合に全勝すれば、勝率は.597とわずかに南海を上回る。ロッテの逆転優勝は、7月10日から神宮球場で行われる日拓(現日本ハム)との3連戦にかかっていた。

 この決戦を前に「やったるで!」と燃えていた男がいた。ロッテ監督就任1年目の金田正一である。通算400勝という不滅の記録を持つ大投手は、同時に天性のスター気質も兼ね備えており、その言動は人気が長期低迷していたパ・リーグを大いに盛り上げた。そんな金田率いるロッテの優勝を懸けた戦いは、世間の注目を集めた。72年のパ・リーグ1試合平均観客動員数は6500人だったが、7月10日の初戦、神宮球場には実に4万1000人もの観客が詰めかけた。「必ずここで東京音頭を歌ってみせる」と、金田は力強く宣言した(このころ、東京音頭はロッテの応援歌だった)。

 対戦相手の日拓も、負けるつもりはなかった。1勝さえすれば最下位を免れ5位が確定する。「第1戦で引導を渡してやる」と、田宮謙次郎監督も闘志十分であった。

 午後6時30分に始まった試合は、終盤まで日拓ペースで進んだ。ロッテ先発の成田文男はピリッとせず、4回途中3失点で降板。二番手の木樽正明も1点を失った。一方、緊張で固くなったのか、ロッテ打線は日拓先発の高橋直樹相手に2点しか奪えない。8回裏には一死満塁のチャンスを得るも、この年12勝を挙げて新人王に輝く新美敏の前に無得点に終わった。

 試合は4対2と日拓2点リードで9回裏、ロッテの攻撃を迎えた。一死から山崎裕之が二塁打を放つも、代打の土肥健二は・・・

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