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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1982年9月3日>勇者から獅子への「王者交代」を象徴した太く短い剛腕人生ラストゲーム

 

山口が入団した1年目の1975年から阪急は4年連続リーグ優勝、77年まで3年連続日本一と黄金時代の絶頂を迎えたが、栄光の時代は長く続かなかった


ストレートの速さはプロ野球史上有数


 1974年11月19日。日生会館でドラフト会議が行われた。当時のドラフトは、まず12球団で予備抽選を行い、その順番どおりに指名していくというシステムで、一番クジを引き当てたのは、この年パ・リーグ5位に終わった近鉄だった。

 ドラフトの目玉は、松下電器の投手・山口高志。当時中日のスカウトで、のちにスカウト部長を務めた法元英明をして、今であれば8球団は競合していたと言わしめた剛腕である。当然、近鉄は「いの一番」で山口を指名するだろうと誰もが思った。

 午前中に予備抽選が終わり、午後の本指名まで休憩となった。近鉄監督の西本幸雄は、阪急の上田利治監督のもとに近寄った。西本は73年まで阪急の指揮を執ったが、上田はその下でコーチを務めた間柄である。西本は、上田に耳打ちした。「ウエよ、ウチは山口にはいかん」。現場の指揮官として、西本は山口獲得を望んでいた。だが注目選手の山口を指名するとなると高額の契約金を用意しなければならず、それに恐れをなした近鉄フロントは、あらかじめ山口獲得に待ったをかけていたのである。予備抽選の結果、阪急の指名順位は2番目だった。上田は、西本の言葉に驚くと同時にほくそ笑んだ。これで山口が手に入る……。

 本指名で近鉄が1位に選んだのは、山口と同じ松下電機の投手・福井保夫(通算2勝)。契約金は2000万円だったという。そして阪急は1位で山口を指名した。契約金は当時最高の5000万円とも噂(うわさ)されたが、実に安い買い物だったと言わざるを得ない。なぜならば、山口を手中に収めたその瞬間から、阪急の真の黄金時代が幕を開けたからだ。

 山口の身長は170cmと、体格は小柄だった。しかし体内には・・・

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