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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1984年9月15、16日>元祖「背番号0」、連夜の大仕事。巨人50周年Vの夢を打ち砕く両エースからのサヨナラ弾

 

この写真は9月15日の試合で西本聖から打った「1本目」。興奮のあまりに足がもつれながらもダイヤモンドを一周した[左は阿南準郎コーチ]


日本プロ野球で初の「背番号0」


 広島の外野手・長嶋清幸の背番号が66から変更され話題を集めたのは、入団3年目、1982年のオフだった。

 身長は髪の毛を足して170cm。小柄な体格で、あだ名は「マメ」。自動車工業高(現静岡北高)から80年に入団した際はドラフト外と、長嶋の評価は決して高くはなかった。だが、1年目から本塁打を放つなどパワフルかつ勝負強い打撃で徐々に頭角を現すと、82年には79試合の出場で打率.263を記録し、一軍に定着した。66という重い番号からの変更は、当然の話だった。

 問題はその数字である。与えられたのは0。NPBに支配下登録された選手の中で、その番号を背負った者は、それまで誰もいなかったのだ。前代未聞の出来事に、83年1月13日の初披露には30社近いマスコミが殺到した。カメラマンたちは、当たり前と言うべきか、長嶋に後ろ姿を要求してはシャッターを切った。

 最初は0という数字に驚いた長嶋だったが、やがて気に入った。あの王貞治(巨人)の背番号1より若い番号であり、ゼロは無限大を意味する。永久欠番にしてやろうとまで思ったという。

 83年の広島のスローガンは「START FROM ZERO(ゼロからの出発)」。そんなチームにあって・・・

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