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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1975年10月15日>失明寸前の事故からほぼ1年後、広島初優勝の胴上げ投手に

 

1975年シーズン途中に実戦復帰した金城[右]の投球練習を見守る古葉監督。金城はリリーフエースとして終盤の優勝争いの切り札となる


「俺の人生もこれで終わりか」


 投手・金城基泰のプロ野球人生は、順調な滑り出しを見せたと言ってもよかった。

 1971年に此花商高(現大阪偕星高)からドラフト5位で広島に入団すると、入団3年目の73年には早くも10勝をマーク。翌74年はさらに飛躍を遂げ、20勝を挙げて最多勝に輝いた。右手を高く掲げる独特のアンダースローから投じるストレートには威力があり、この年の207奪三振はリーグ最多だった。外木場義郎と並ぶ広島の主力投手に成長した若者の、明るい未来を疑う者は誰もいなかった。

 そんな金城に悲劇が訪れたのは、74年10月12日のことだった。友人たちと別府旅行を楽しんでいた金城が乗った車が、対向車と衝突したのである。その衝撃で、金城はフロントガラスに頭から突っ込んだ。

 病院のベッドの上で意識を取り戻した金城は、両目を開けた。しかし、暗闇が続くばかりで何も見えなかった。おかしい……。何度同じ動作を繰り返しても結果は同じだった。金城の角膜は、事故によりひどく損傷しており、失明すら危ぶまれる状態だったのである。10月16日、金城は球団関係である広島の東洋工業付属病院に移送された。それは奇くしくも、金城にとって22歳の誕生日でもあった。

「俺の人生もこれで終わりか」。金城は絶望感に苛(さいな)まれた。野球どころではない。日々考えるのは目のことばかりだった。朝起きるのが怖かったという。目が覚める、今日も見えない。そのたびに失明の恐怖が襲った。「このまま一生、目が見えないのなら、もっと外の景色を見ておけばよかった……」。そう思う日もあった。

 そんな金城の・・・

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