張本、若松が激しい首位打者争い
首位打者を獲得すること7回。パ・リーグを代表する安打製造機だった
日本ハムの張本勲が巨人にトレードされたのは、1975年のオフだった。この年、慣れぬ指名打者起用に右足の肉離れが重なった張本の打率は.276。10年ぶりに3割を切った。また体質改善を図るチームにあって、35歳のベテランの居場所はなくなりつつあった。
しかし、このトレードが張本の闘志に火をつけた。翌76年、猛練習によって弛(ゆる)んでいた肉体を引き締め、体調を万全に整えた。開幕から好調を維持した張本は、5月13日から6月20日にかけて当時セ・リーグ記録の30試合連続安打をマーク。その後も安打を量産した。
王貞治と「OH砲」を形成した張本は、前年球団史上初の最下位に転落した巨人をリーグ制覇に導く原動力となった。
10月16日の広島戦(広島)でも1安打を放った張本は、打率.355で全日程を終えた。シーズン中盤から激しい首位打者争いを繰り広げた若松勉(ヤクルト)を振り切り、この時点で打率はリーグトップ。自身8度目にして、
江藤慎一(
中日、
ロッテほか)以来となる両リーグでの首位打者獲得は、まず間違いないと目されていた。
だが、このバットマン・レースには張本、若松に続く「第三の男」がいた。10月以降、驚異的なペースでヒットを重ねた中日の
谷沢健一である。巨人がシーズンを消化した10月16日、谷沢は阪神戦(甲子園)で3安打を記録し、打率を.349から.352に上げていた──。
「俺が見た中では早大史上最高の左打者」。谷沢をそう評したのは、大学時代の恩師・石井藤吉郎である。その評価には実績が伴っている。早大時代の谷沢の通算成績は、打率.360&18本塁打。東京六大学野球の歴史に残る強打者であった。70年にドラフト1位で中日に入団すると、1年目からレギュラーに定着し、打率.251&11本塁打で新人王に輝いた。72年には、3割まであと一歩となる打率.290を記録した。
しかし・・・
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