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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1979年11月4日>苦しんだ末のカープ初の日本一。鉄人が見た「江夏の21球」

 

1979年の日本シリーズ、広島・衣笠[前列左の胸番号3]は第6戦の時点で10打数ノーヒットと不振に苦しみ、第5戦では欠場。鉄人が試合に出ないのは公式戦では考えられないことだった


日本シリーズで湿ったバット


 広島のスラッガー・衣笠祥雄にとって、1979年は調子が乱高下した1年となった。

 4月7日の阪神との開幕戦(広島)では2本塁打を放ったものの、その後は打撃が低迷。5月28日の中日戦(岡山)を前に打率が2割を切っていた衣笠は、ついにスタメンから外された。これにより、NPB記録(当時)の700に迫っていた連続フルイニング出場は、678で終了した。衣笠は、夜も眠れぬほどに苦しんだ。

 それでも「背番号3」は徐々に復調する。9月には打率.388、6本塁打、15打点で月間MVPを受賞。この月13勝3敗3分けと躍動したチームの主力に返り咲き、4年ぶりのリーグ優勝に貢献したのだった。

 しかし、近鉄との日本シリーズが始まると、衣笠のバットからは再び当たりが消えた。最初の2試合の成績は8打数0安打、3三振、2併殺打とまったくいいところがなく、3試合目からはスタメン落ちを喫する。のちに連続試合出場を当時の「世界記録」である2215まで伸ばした衣笠だったが、第5戦では欠場の憂き目にあった。

 11月4日、勝ったほうが日本一という第7戦が大阪球場で幕を開けた。やはりこの男が必要だと思ったのだろう、広島の古葉竹識監督は衣笠を「二番・三塁」で先発出場させた。

 衣笠は期待に応えた・・・

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