
前年の1982年に日本シリーズで中日を倒した西武は親会社が替わってから初めて頂点に立ったが、翌83年に巨人を倒したことで広岡監督の本当の目的を果たした
逆転試合が多く「最高のシリーズ」
1982年、
広岡達朗は西武監督就任1年目にしてチームをリーグ優勝と、続く中日との日本シリーズ制覇に導いた。考え得る限り最高の結果を出したと言える。だが、広岡は満足していなかった。巨人を倒してこそ本当の日本一という思いがあったからである。
現役時代の広岡は、巨人の花形遊撃手であった。プロ野球の喜びも苦しみも、すべて巨人で学んだ。しかし広岡は監督の
川上哲治と対立し、志半ばで退団に追い込まれてしまう。以降は愛する巨人のユニフォームに袖を通すことはなかった。やがて広岡の中に、巨人を超える野球を確立してみせるという信念が生まれた。
自分の正しさを証明するためには、日本シリーズという最高の舞台で巨人を倒さなければならかった。そして「球界の盟主」に対する勝利は、同時に西武を全国区のチームに押し上げることも意味した。
83年、西武は難なくパ・リーグを連覇した。セ・リーグのペナントレースを制したのは巨人。ついにそのときが訪れた。クールな表情の内側で、広岡は熱く闘志を燃やした。
この年の日本シリーズは、今なお「史上最高のシリーズ」との呼び声が高い。劇的な逆転試合が続き、秋色の列島を盛り上げた。11月5日の第6戦(西武)も、1点を追う巨人は9回表二死から
中畑清の2点適時打で逆転に成功した。巨人は3勝2敗と王手をかけている。9回裏を抑えれば、日本一が決まった。
マウンドに上がったのは・・・
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