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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

【1961年4月8日】巨人を追われて中日へ移籍、古巣との開幕戦で「ざまあ見ろ」の決勝アーチ

 

当日の写真は弊社に残されていない。写真は1960年12月に中日と正式契約を結んだ時点の与那嶺[中央]。左は中日の高田一夫球団代表、右は濃人渉監督[写真=産経新聞社]


日本のプロ野球を変えた男


「誰かバントをやる奴はおらんか」

 巨人監督・水原茂は、ダグアウトの選手たちにそう声を掛けた。1951年6月19日、後楽園球場で行われた巨人対名古屋(現中日)戦の7回裏、2点を追う巨人は無死一、二塁の好機を得ていた。代打を出し、犠打で走者を進めようというのである。

「与那嶺にやらせてみよう」。選手兼任助監督の千葉茂が言った。与那嶺要、通称「ウォーリー」は、シーズン途中にハワイから来日し、この日初めてベンチ入りした日系アメリカ人選手だった。水原は与那嶺に尋ねた。「ウォーリー、自信はあるか」。

 笑顔で応じた与那嶺はバットをつかむと、飛ぶように左打席に向かった。

 マウンドの投手は、エース・杉下茂である。2球目だった。外角のストレートを、与那嶺は三塁側に転がした。打球は三塁手、投手、捕手の中間でピタリと止まる。絶妙なバントであった。打つと同時に猛然とダッシュした与那嶺は、あっという間に一塁を駆け抜けた。杉下も巨人ベンチも観客も度肝を抜かれた。これまで見たことがないほどのスピードだったからだ。日本のプロ野球を変えたと言われる与那嶺の、これが鮮烈なデビューであった。

 もともとはプロのアメリカンフットボール選手だった与那嶺の走塁には・・・

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