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よみがえる1990年代のプロ野球

1990年代 思い出の助っ人たち【セ・リーグ編】

 

ここでは1990年代にセで活躍した助っ人を紹介。大活躍をした選手もいれば、期待外れの選手も……。
※支配下登録選手および外国人枠となる選手のみ。帰化した選手は該当年から含まず。ポジションは登録のもの。成績は90年代の球団在籍時の通算成績
【パ・リーグ編】はこちら

阪神・オマリー 90年代最高のマルチヒッター


トーマス・オマリー阪神1991-94、ヤクルト1995-96[内野手/アメリカ]
阪神/通算490試合、548安打、74本塁打304打点、6盗塁、打率.318
ヤクルト/通算252試合、272安打、49本塁打184打点、9盗塁、打率.308


 ランディ・バースの再来として期待されたが、しっかりとミートしてコースに逆らわずに打ち返すタイプだった。1年目の1991年に21本塁打に打率.307をマーク。92年はシンカメ(新庄剛志亀山努)フィーバーの中、中軸打者としてリーグ2位に貢献。打率.325で出塁率.460という素晴らしい成績を残す。93年には打率.329で首位打者を獲得。日本語も積極的に話し、明るいキャラクターで歴代の中でも高い人気を誇る助っ人だ。

大洋・レイノルズ 11打数連続安打の日本記録保持者


R.J.レイノルズ●大洋1991-92[外野手/アメリカ]
通算231試合、254安打、34本塁打、146打点、29盗塁、打率.283


 好打、俊足、強肩を買われ1991年に来日。阪神との開幕戦ではいきなり4安打の華々しいデビューを飾った。両打ちながらシュアな打撃で安打を重ね、8月には11打数連続安打の日本記録を樹立した。1年目はリーグ5位となる打率.316、15本塁打、80打点、17盗塁の活躍。外野手でベストナインとゴールデン・グラブ賞に輝いた。2年目は19本塁打まで伸ばすも、打率は低迷。93年に近鉄に移籍した。

ヤクルト・ハウエル 野村ヤクルト初優勝の立役者


ジャック・ハウエル●ヤクルト1992-94、巨人1995[内野手/アメリカ]
ヤクルト/通算339試合、336安打、86本塁打231打点、10盗塁、打率.293
巨人/通算66試合、61安打、14本塁打41打点、1盗塁、打率.279


 来日1年目から打率.331、38本塁打で2冠に輝き、MVPに選ばれた助っ人だ。野村ヤクルトが初優勝を遂げる1992年に加入し、優勝の立役者となった。翌93年には、日本新記録となるシーズン5本のサヨナラ本塁打を記録するなど、記憶にも記録にも残る選手だった。93年のシーズンは前年ほどの成績は残せなかったものの、日本シリーズでは1、2戦で打ちまくり、野村ヤクルト初の日本一にも貢献した。

中日・パウエル 3年連続の首位打者


アロンゾ・パウエル中日1992-97、阪神1998[外野手/アメリカ]
中日/通算632試合、765安打、107本塁打369打点、12盗塁、打率.318
阪神/通算78試合、52安打、9本塁打28打点、1盗塁、打率.255


 1992年にマーク・ライアルの負傷から緊急補強で5月に来日。当初は日本野球に戸惑っていたものの、徐々に慣れて本領発揮。シュアな打撃で広角に打ち分けて安打を量産した。94年からは外国人選手としては初の3年連続首位打者に輝く。一方でチャンスに弱い面もあり、97年に完成した広いナゴヤドームでは手術をした左膝への影響もあって対応できず、98年は阪神へ移籍。チャリティー活動にも熱心な真面目外国人だった。

広島・チェコ カープアカデミー初期最大の成功例


ロビンソン・チェコ広島1992-93、95-96[投手/ドミニカ共和国]
通算37試合登板、19勝9敗0S、202奪三振、防御率3.17


 ドミニカ・カープアカデミー(1990年開校)出身者のトップを切り1991年に練習生で来日。92、93年と支配下登録された。94年は台湾でプレー。95年に呼び戻されると、チームトップの15勝、オールスターにも出場した。背番号「106」も話題に。そのオフ、契約問題でもめ、もう1年だけ広島でプレーすることで合意。96年はノーヒットノーランまであと1人の快投もあったが4勝に終わった。

横浜・ブラッグス 横浜ベイスターズ初代四番


グレン・ブラッグス●横浜1993-96[外野手/アメリカ]
通算404試合、443安打、91本塁打、260打点、13盗塁、打率.300


 横浜ベイスターズへと改称された1993年に入団し、初代四番を務めた。来日当初は日本野球への対応に苦しんだが、シーズンが進むにつれて持ち前の打棒を発揮。7月には29試合連続安打をマークした。94年にはリーグ2位の35本塁打を放ち、ベストナインにも選出された。普段は紳士的なナイスガイだが、熱い一面も持ち合わせ、同年に起きた中日・与田剛と死球を巡る乱闘事件は語り草。

横浜・ローズ ベイ史上最強の外国人打者


ロバート・ローズ●横浜1993-2000[内野手/アメリカ]
通算1039試合、1275安打、167本塁打、808打点、16盗塁、打率.325


 球団史上、もっとも活躍した外国人と言っていいだろう。1993年に来日した当初は、それほど評価されていなかったが、いきなり打点王に。無理に引っ張らず、右方向へ流す巧みさを備えていた。以後、打線の中心となり、97年は最高出塁率、99年は首位打者と打点王、最多安打と、毎年のように打撃タイトルを獲得した。98年はマシンガン打線の四番に座り、38年ぶりVの原動力となった。

阪神・郭李建夫 虎を支えた銀メダルエース


郭李建夫/かくり・たてお●阪神1993-98[投手/台湾]
通算167試合登板、27勝31敗19S、299奪三振、防御率3.50


 バルセロナ五輪で日本代表に完封、完投で2勝し、チャイニーズタイペイを銀メダルに導いた。日米球界が獲得を狙い1993年阪神に入団する。しかし、当時は外国人枠が2人まで。オマリー、パチョレックの好打者の存在により、出場機会に恵まれなかった。しかしその後、パチョレックのケガで出場機会が増えると96年まで4年連続25試合以上に登板。先発に抑えにとチーム事情に振り回されながらも、チームのために腕を振り続けた。

巨人・マック バリバリのメジャー・リーガー


シェーン・マック●巨人1995-96[外野手/アメリカ]
通算247試合、273安打、42本塁打、127打点、24盗塁、打率.284


 MLBのストライキの影響もあり、1995年に2年総額8億円の破格の条件で巨人に加入した。前年は規定打席未満ながら打率.333、15本塁打と活躍していたバリバリのメジャー・リーガーで、1年目は一番打者として、2年目にはクリーンアップを任され、落合博満に変わり四番(第63代)でも起用された。打っては「左キラー」で、守っては俊足を生かした広い守備範囲を誇り、ダイナミックなプレーでファンを魅了した。

ヤクルト・ブロス 直球で打者をねじ伏せた長身右腕


テリー・ブロス●ヤクルト1995-97[投手/アメリカ]
通算78試合登板、28勝25敗0S、325奪三振、防御率3.49


 身長205cmの超大型右腕の入団経歴は、少々異質だ。1995年2月、アメリカアリゾナ州のユマで行っているヤクルトの春季キャンプで、入団テストを受けたことがきっかけだった。長身から投げ下ろすストレートとフォークで打者をねじ伏せ、9月にはノーヒットノーランを達成。野村ヤクルト3度目のリーグ優勝を決めた際の胴上げ投手でもある。日本シリーズでも先発の軸となり、日本一に貢献した。

巨人・ガルベス 素行不良で暴れん坊な最多勝男


バルビーノ・ガルベス●巨人1996-2000[投手/ドミニカ共和国]
通算106試合登板、46勝43敗0S、443奪三振、防御率3.31


 春季キャンプでのテストにパスして入団した1996年に、16勝を挙げて最多勝を獲得、「メークドラマ」に貢献した。翌97年も12勝、98年は7月終了時点で9勝を挙げていたが、7月31日の阪神戦で球審にボールを投げつける愚行。シーズン残りの出場停止を受ける。それでも99年は球団では助っ人としては初めて開幕投手を任されるほど、その力は確かだった。なお、この年も9勝を挙げている。

中日・宣銅烈 韓国史上最高の投手


ソン・ドンヨル●中日1996-99[投手/韓国]
通算162試合登板、10勝4敗98S、228奪三振、防御率2.70


 韓国球界のレジェンドが33歳で来日。全盛期は過ぎていたものの、150キロのストレートとキレ味抜群のスライダーで竜の守護神を務めた。1年目は不本意な成績に終わったが、2年目の97年は当時の日本記録となる38セーブを記録。99年も28セーブで優勝に貢献。胴上げ投手にもなった。韓国における日本球界へのパイオニア的存在。李鍾範サムソン・リーとともに「韓国三銃士」と言われた。

広島・ロペス 前評判覆し、2年連続打点王


ルイス・ロペス●広島1996-97、2000-02[内野手/アメリカ]
通算264試合、327安打、55本塁打、221打点、2盗塁、打率.316


 来日直後の春季キャンプでは打撃が振るわず不安視されたが、当時の山本一義打撃コーチの指導を熱心に聞き、日本の投手を研究。シーズンでは勝負強い打撃を見せ、96年は打率.312、25本塁打、109打点で打点王に輝いた。97年も打率.320、30本塁打、112打点と数字を伸ばし打点王。170本で最多安打も。2000-02年にも在籍して活躍するが、前田智徳と小競り合いを起こすなどして退団となった。

ヤクルト・ホージー 3拍子そろったスイッチヒッター


ドゥエイン・ホージー●ヤクルト1997-98[外野手/アメリカ]
通算244試合、218安打、51本塁打、142打点、24盗塁、打率.267


 ファンからもらったプリクラを自身のヘルメットに貼るなど、陽気なキャラクターで、チームメートからつけられたニックネームは「太郎」。愛された助っ人だった。研究熱心な面も併せ持ち、相手投手の特徴などを細かくメモして準備。来日初年度の97年には、両打席から38本塁打を放って本塁打王に輝いている。盗塁も20を記録し、打って走って、ヤクルトの優勝に大きく貢献した。

中日・ゴメス 陽気なプエルトリカン


レオ・ゴメス●中日1997-2000、01-02[内野手/プエルトリコ]
通算384試合、408安打、93本塁打、266打点、7盗塁、打率.296


 勝負強い打撃で初来日の97年から四番に座った。1年目から31本塁打に打率.315と好成績を残した。引っ張り専門ではあったものの、長距離砲として活躍。99年は36本塁打中13本塁打を巨人で放ってリーグ優勝に貢献した。陽気な性格にして敬虔なクリスチャン。ゲンをかついでヒゲを剃らないこともあった。2000年オフに息子の教育問題を理由に退団したものの、01年途中に再入団している。

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