高校時代の筆者は二塁手だったが、試合中に突然捕手を守れと言われた[写真=本人提供]
各地で夏の全国高校野球選手権地方大会が始まります。私もかつては、甲子園にあこがれた高校球児でした。今回は、そんな高校時代の思い出をお話しします。
中3になった私は当初、一般受験で公立高校に進学するつもりでした。そこへ「暁星国際高校」という、(当時の私にとっては)まったくの無名校からスポーツ推薦の話が舞い込んできたのです。暁星国際は“1回戦ボーイ”だった野球部を強化しようと、その秋、社会人・川崎製鉄神戸(現在のJFEの前身)で指揮を執っていた五島卓道監督(現木更津総合高監督)を招聘したばかり。私は“強化メンバー1期生”として、10人の同期生とともに、寮生活を始めることになりました。
最初は、不安の塊でしたね。それでなくても、私はあまり社交的なほうではありません。しかも同期生はみんな、東京、九州など同じ地域から来た顔見知りがいて、誰かしらと親しげに話をしています。私だけポツンと1人、知らない場所に放り込まれたかのようでした。
そのころは専用グラウンドもなく・・・
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