
イラスト=イワヰマサタカ
戦後、職業野球の球団で最も早く復活したのが阪急軍だった。
1945年8月15日の終戦の日からわずか数週間後の9月。親会社である京
阪神急行電鉄(戦時中に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併してこの名称となった)の社内で復活に向けての動きが始まっている。
本拠地の西宮球場や合宿所の甲武館も空襲をまぬがれ、そのままの形で残っていた。さらに後楽園、神宮、甲子園などの球場はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収されたが、西宮球場はそれもまぬがれた。甲武館は居住施設が整えられ、次々と復員した選手たちが戻ってきた。多くの都市が空襲により焦土と化した状況で、合宿所は選手たちにとって最適な落ち着ける場所となった。他球団に復活のメドが立たない中、東京
巨人軍の
前川八郎や
青田昇、旧東京セネタースの西鉄軍から
野口明、二郎兄弟なども集まって来た。
西宮球場にはスタンド下の倉庫に・・・
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