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長谷川晶一 密着ドキュメント

第十六回 通算179敗の矜持――「僕は《ヤクルトの石川雅規》で本当によかった」/42歳左腕の2022年【月イチ連載】

 

今年でプロ21年目を迎えたヤクルト石川雅規。42歳となったが、常に進化を追い求める姿勢は変わらない。昨年まで積み上げた白星は177。200勝も大きなモチベーションだ。歩みを止めない“小さな大エース”の2022年。ヤクルトを愛するノンフィクションライターの長谷川晶一氏が背番号19に密着する。

球団史上3人目の「通算3000イニング」達成


6月30日の広島戦で史上28人目の通算3000イニング登板を達成した


 6月30日の対広島東洋カープ戦に先発した石川雅規は、プロ通算3000イニングの節目の記録を達成した。史上28人目、球団では金田正一松岡弘に次ぐ3人目の快挙となった。プロ21年目で到達した「3000イニング」、つまり「9000アウト」だった。

「3000イニング、9000アウトと言っても、まったく実感がわかないですね。『ファミコン』でも、なかなか達成は難しい数字だし、お母さんに“ゲームやりすぎよ”って怒られちゃいますよね(笑)。アウトというのは絶対に一人で取れるものではないから、ヤクルトのみんなで取った9000個のアウトだなっていう気がしますね」

 自らの偉業を野球ゲームで例えるのが石川らしかった。記録達成を受けて、偉大なOBである松岡も、「納得できるまで投げ続けてほしい」と賛辞を贈った。石川がプロ2年目だった2003年に、松岡は2度目となる2軍投手コーチに就任した。すでに石川は1軍のローテーション投手ではあったが、松岡との接点はあった。

「ファームで残留練習をしているときに、よく松岡さんと一緒になりました。いつも、“頑張ってんな”とか、“無理すんなよ”と尻を叩いてくれたイメージがあります。明るくて気さくで、いつも松岡さんに元気をもらっていましたね」

 1970年代の低迷期を支えたエース・松岡弘は85年、200勝まで「残り9勝」でユニフォームを脱いだ。その通算成績は191勝190敗だった。自身が達成できなかった200勝を、松岡は石川に託しているという。

「みんなからしたら、“あと9勝なのに……”という思いはあると思います。でも、そんなに簡単なことではないということは、当の松岡さんはよくわかっているし、全力でやった結果が191勝だったと思います。一つ一つ白星を積み重ねていって、松岡さんに近づきたいし、超えていきたいです。そして、いつも元気な松岡さんに“よくやったな、石川”と褒められたいですね」

大エース・松岡弘の言葉を受けて


ヤクルトひと筋18年で通算191勝190敗をマークした松岡


 かつて、松岡に話を聞いたことがある。通算191勝190敗で引退した無念、そして「あと9勝」に対する心境を。このとき、松岡はこんな言葉を口にした。

「みんな《191勝》のことを口にするけど、本当に僕が自慢できるのは《190敗》の方なんだよね。オレは190敗もしたのに、それでも信頼して試合に使ってもらった。それはいちばんの自慢。普通ならこんなに負けたら使ってもらえないよ。でも、僕はヤクルトで190敗もしながら、それでも信頼して使ってもらった。それを自慢したい気分だね」

 この言葉を告げると、石川は「うーん」と大きくうなずいて言った。

「めちゃめちゃ、僕も共感します。僕は今、182勝179敗(7月12日現在)ですけど、本当にスワローズだからこれだけ投げさせてもらったと思います。“負けすぎだろ”とか、いろんなことを言う人がいます。でも、僕も松岡さんと同じように、それだけのゲームを、チームから任されたということを誇りに思います。松岡さんの言葉には勇気をもらえます」

 王貞治長嶋茂雄という球史に残る大選手をバックに巨人のエース・堀内恒夫は通算203勝を記録した。一方、松岡はONを相手に苦心の末に191勝をマークした。単純に比較できる数字ではないのは重々承知の上で、その心境を尋ねると、松岡の口調は厳しくなった。

「うーん、“もしも巨人に入っていたら?”ということはよく聞かれるけど、それは仮の話なんでね。203勝とか191勝とか、比較対象にしない方がいいと思うな。むしろ、僕や平松(政次)はONと対戦させてもらうという得難い経験をしているわけじゃないですか。でも、堀内はONと対戦できなかった。それは投手としてはかわいそうな気もするからね」

 さらに、松岡の言葉は続く。

「やっぱり、“たられば”で話をしたらダメなんだ。逆に僕は、ヤクルトにいたからこの成績を残すことができたんだと思いますよ。もしも僕が巨人に入団していたら、ローテーションにも入れずに191勝もできなかったかもしれないから」

 この言葉を告げると、石川の口調に熱が帯びる。

「確かに、自分の人生は一度しかないから、仮定の話は僕にもわからないです。でも、ヤクルトだからこそ今の自分があると思うし、これ以上でも、これ以下でもない。僕は《ヤクルトの石川雅規》で本当によかったと思っています」

 国内FA権、海外FA権、いずれも選手が自らの手で獲得した正当な権利である。「残留したから立派だ、移籍したから裏切り者だ」という単純な問題ではない。それを承知の上で、「他チームに移籍することは考えなかったのか?」と質問を投げかける。石川の言葉は明快だった。

学校に行くのが楽しかった子どもの頃の気分


「一選手として、“高いレベルの野球はどんなものなんだろう?”と考えてワクワクすることはもちろんありました。でも、僕自身が他のチームのユニフォームを着てヤクルト相手に投げるイメージはまったくわかないですね。球団から“もう、いらないよ”と言われるまで、僕はヤクルトにい続けたい。その思いはますます強くなっているので、他のチームでというのはまったくないです。そもそも、他のチームが僕のことをほしがらないないでしょうけどね(笑)」

 彼らしい冗談で、取材現場が一気に和やかになる。そして石川は続けた。

「でも、松岡さんのそういう言葉を聞くと、自分と考えていることがすごく似ているから親近感がわくし、本当に嬉しいですね。本当にすごく似ていると思います。投げるボールはまったく違いますけど(笑)」

 プロ21年目、今季の石川は数々の記録を打ち立てている。チームも好調で、早々にマジックが点灯した。ここからは足元を見つめながら、一つ一つ着実に白星を重ねていくだけだ。

「マジックが出たことには驚いたけど、そんなことに左右されずに目の前の試合でしっかりした野球ができている気がします。マジックだとか、ゲーム差だとかは今は気にする時期ではないというのは、みんなブレずにいると思います。いいときばかりじゃないことはわかっているし、今は取れる試合をしっかり取るということが大切だと思います」

 投打の歯車が噛み合い、チームのムードはとてもいい。その流れに乗って石川も自分のピッチングを披露するだけだ。

「今はめちゃめちゃ、チームの雰囲気がいいです。仕事が好きな人って、会社に行くのが楽しいと思うんです。子どもの頃、学校に行くのが楽しい感じ。僕ら、クラブハウスに行くのが毎日楽しいですもん。勝ったとしても、負けたとしても。元々、ヤクルトはファミリー球団だって言われています。弱いときはただの仲良し集団だと揶揄されるけれど、結果が伴っているから、今はとても楽しいですね」

 7月2日の対横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初のサヨナラヒットを放った塩見泰隆も、「今はクラブハウスに行くのが楽しい」と発言していたことが思い起こされる。

「……えっ、塩見も同じことを言っていたんですか? アイツ、いいこと言うな。真似したと思われるのイヤなので、さっきの発言はキャンセルしてください。子どもの頃、学校に行くのが楽しかった感じ。そういうことにしておいてください(笑)」

 チームは今、非常事態を迎えている。それでも、石川のコンディションはいい。残った者たちで全力を尽くし、今はただ、目の前の試合を一つ一つ大切に戦っていくだけだ。石川にとって、21度目の「熱い夏」が始まろうとしている――。

(第十七回に続く)

取材・文=長谷川晶一 写真=BBM

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